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小6で「自分は養女」と知った女性の数奇な人生

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東洋経済オンライン

 生まれて間もなく養子になった。小さい頃に両親が離婚した。中学生のとき父親が家に帰らなくなった。生活が困窮していた。母親の再婚相手が反社会的勢力の人だった──。 47都道府県「幸福度」ランキング  取材応募フォームからは毎月、子ども時代にさまざまな経験をした人たちからメッセージが届きますが、いま書いたのはすべて、あるひとりの女性の話です。  「一見ネガティブになりそうな要素がたくさんあっても、なんとかなる人生もあると伝えたい」という三宅莉恵子さん(仮名、40代)に連絡をとったのは、この4月でした。住まいは都内でしたが、コロナ自粛期間中につき、オンラインで話を聞かせてもらいました。

 時折雷が鳴り響く、ほの暗い土曜の午後。ディスプレイの向こうにいる莉恵子さんの部屋には、しんとした蛍光灯の光と、落ち着いた空気が満ちていました。 ■保険証の続柄が「養女」、何かの間違いだと思った  莉恵子さんが養子になったのは、生後すぐだったようです。最初に気づいたのは、小学校6年生のときでした。修学旅行に行くため、学校から保険証のコピーを求められたのですが、このとき続柄の欄に「養女」という文字を見つけたのです(今はそういう表記はされません)。

 「何かの間違いだろう」と思ったのには理由がありました。1つは莉恵子さんの家が貧しかったこと。一般的に養子というと、貧しい家から裕福な家に行くイメージがありますが、該当しなかったからです。それに家には、莉恵子さんが生まれたときの「育児日記」のようなものもありました。今思えば、カモフラージュだったのかもしれません。当時は、「聞くのが申し訳ないような気持ち」があったといいます。  両親の名前を知ったのは、高校生の頃でした。どうしても生みの親を見てみたいと思い、家で手がかりを探していたところ、母子手帳を見つけたのです。電話帳で調べたところ、そう遠くない場所に住んでいることがわかったそう。

 実母に会えたのは、22歳のときです。ある日、莉恵子さんの兄か従兄弟にあたる人物が彼女のもとを訪れ、「(実の)父親が亡くなったので相続放棄をしてほしい」と頼みに来たため、「(生みの)母親に会いたい」と伝えることができたのです。  なぜ自分は養子になったのか?  ついに対面した実母に尋ねたところ、この一家は当時、生活が困窮しており、実父と同郷だった養父に莉恵子さんを託したのだとわかりました。莉恵子さんの養母は身体が弱くて子どもを産めないことも、当時わかっていたそう。

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