言葉の裏を読むのが苦手な人におすすめしたい 「小さな世界」のつくり方
「小さな世界」の住民になりたくともなれない人たちは意外と多い
このすばらしき小さな世界をつくるのにどのくらいかかるのでしょうか? 私の場合、意図的にそのように振る舞っていたわけではなくて、幼い頃から自然にそう振る舞っていて、いつの間にか自分の周りにそんな世界ができていました。 子供の頃は、ほかの人たちも私と同じだろうと思っていました。少し成長すると、私の方がじつはかなり変な人で、たいていの人たちは言葉を言葉通り受取らず、互いに相手の言葉の裏を読みあって生きているのだと知りました。「それは何ともご苦労なことだ」と思ったけれど、世界の大勢がそうであるなら仕方ありません。私は自分の周りの小さな世界で生きていけばいいと感じたのです。 やがてもっと成長すると、さらに不思議なことに出合いました。じつはこの世界には私と同じように、言葉を言葉通り受取らず、互いに相手の言葉の裏を読みあって生きるのに適応できない人たちが、意外にたくさんいることに気づいたのです。私にとって不思議なのは、そんな人たちの多くが、自分を偽って生きていることなのです。つまり、ほんとうは言葉の裏を読みあうような生き方は嫌いなのに、世間に向けては逆の顔をして、世間のルールに従い、空気を読んで生きていること。当然、その人の周囲人たちはその人のことを、自分たちの同類と認識するので、空気を読むことを求め、言葉の裏を読むことを求めます。それが当人にとって大きなストレスになるのです。 そんなケースに初めて出合ったときの率直な感想は「なんと愚かなこと」でした。自分を偽って生きることで自分を苦しめている、それなら自分に正直に生きれば楽ではないのか、なぜそうしないのでしょう?
精神科医になって、私ができること
やがて精神科医になって「なんと愚かなこと」と言って済ませられない立場になりました。そんな人たちがたくさんいるんです。ほかの精神科医もそうなのでしょうか? それとも、私の周りに例外的にこの種の人たちが集まるのでしょうか? ひょっとしたらそうかもしれません。ひょっとしたら、この人たちは私の生き方を「いいな」と思って私を主治医に選んだのかかもしれない、とも思います。 仮にそうであっても、特別なことができるわけではありません。結局、「自分を偽らず、正直に生きなさい。それが一番楽で、幸せな生き方だから」とアドバイスをするだけです。もちろん、その人たちはすぐには決心できません。そんなアドバイスを聞いてすぐに決心できるくらいなら、精神科医を受診しません。だけど私としても魔法を使えるわけではないので、同じアドバイスを手を変え品を変えて繰り返すしか能がありません。そんな繰り返しの中で、彼ら/彼女らの口から、いま現在の人間関係が壊れること、いま現在の友人たちが去って行くことへの不安、恐怖が語られることもあります。その時には、 「孤立を怖れなくていい。友情や友人は人生の必需品ではないのだから」と語り、 「いずれ、あなたの周りに小さな世界が作られるから」と言い添えます。ちょっと格好を付けて、「徳は孤ならず」という『論語』の言葉を付け加えることもあります。 プライベートな人間関係はそれでいいかもしれないけれど、職場の人間関係は断ち切るわけにはいきません。その場合は、こんな問答になります。 - 職場で空気を読まないと、クビになる? - クビにはならないと思うけど、干されるかも - 干されると、死ぬ? - 死にはしないと思うけど - じゃあ、大丈夫だよ もちろん、たった1回の問答で決心が固まるはずはないので、根気よくこの問答を続けています。 (心療内科医・松田ゆたか)