双子のマスタング F-82「ツインマスタング」初飛行-1945.6.15 日本にも配備
パイロットの負担軽減を目指し開発
1945(昭和20)年の6月15日、アメリカが開発した戦闘機F-82「ツインマスタング」が初飛行しました。本機の特徴は、その外観からもわかる双胴形状。ただ、一般的な双胴機の場合、主翼から後翼に伸びる部分が2本あり、操縦席などが設けられる胴体前半部分は一つなのが主流なのに対し、F-82は2機の航空機をそのまま合体させたような、いわゆる「双子機」といわれる機体構造をしています。 【日本にもいた】福岡から出撃するF-82「ツインマスタング」 なぜ、このような形状に至ったのか。その理由は、既存機流用の双子機の場合、開発期間を短くでき、比較的簡単な改修で搭載量や航続距離を向上させることが可能だからです。 そもそもF-82「ツインマスタング」の原型は、P-51「マスタング」戦闘機です。この戦闘機は「第2次世界大戦中の最優秀戦闘機」といわれることもあるほどの高性能機で、1940(昭和15)年10月26日に初飛行すると、1942(昭和17)年から本格運用が始まり、わずか3年ほどのあいだに約1万7000機が生産され、大戦後も朝鮮戦争などに投入されています。 P-51は高い戦闘能力と優れた航続力を持っていたため、B-17やB-24、B-29など長距離戦略爆撃機の護衛機として用いられました。しかし単座ゆえに、パイロットひとりで長時間にわたり操縦し続けなくてはならず、そのうえで敵地上空で戦闘して帰ってくるのは、かなりの負担でした。 また、すでにB-29の後継となる、より航続距離の長い新たな戦略爆撃機が計画されていたことから、もうひとり航法士を兼ねたパイロットが乗り込み、交互に操縦可能な複座の護衛戦闘機が必要とされたのです。
大戦終結で必要性低下 でもレーダー装備で復活
アメリカ陸軍においてこうした要望が挙がる一方、偶然にもノースアメリカン社では1943(昭和18)年の時点でP-51「マスタング」を2機合体させた双発複座機のプランを検討していました。両者の思惑がうまく合致したことで、F-82「ツインマスタング」の開発は始まりました。 とはいえ、ベースが優秀機だからといっても単純に2機つなげただけとはいかず、胴体後部や垂直尾翼などは大幅に改修され、エンジンも左右で回転方向を逆にしており、設計はほとんどやり直しに近かったそうです。ただし、そこまで大幅に手を加えたからこそ飛行機として成功したともいえるでしょう。 ただ、こうして生まれたF-82も、初飛行の2か月後に第2次世界大戦が終結したことで必要がなくなり、生産のほとんどがキャンセルとなります。しかしB-29の後継として、より長距離を飛ぶことが可能なB-36戦略爆撃機が登場すると、その護衛用としてF-82は生産再開となりました。 くわえてF-82はエンジンが2基あり、P-51と比べて搭載量が多く、なおかつパイロットも2名いたことでレーダーを搭載するのに最適とされ、主翼中央にレーダードームを装備した夜間戦闘機型も開発されました。 当時のレーダーは大型で、しかも操作のほとんどが手動で手のかかるものでした。そのためひとり乗りの単座戦闘機に搭載すると、パイロットの負担は大きく「腕が3本必要」と揶揄されるほどでした。 第2次世界大戦中、すでにアメリカは3人乗りでレーダー搭載のP-61「ブラックウィドウ」夜間戦闘機を実用化していましたが、大型のため鈍重で、大戦後は旧式化しており、高性能な次世代機が必要とされていました。 そこでP-51「マスタング」譲りの優れた戦闘能力と、レーダーを装備可能な余裕ある搭載力、そして複座機として片方のパイロットにレーダー操作員を兼務させることが可能なF-82は、夜間戦闘機にも転用されることになったのです。