日本高校記録持つ順天堂大・吉岡大翔が箱根路に弾み…同じ苦悩知る「先輩」の助言に光が見えた
順風満帆の高校時代から大学で思わぬ苦戦
ところが、大きな期待を背負って入学した順大では、思わぬ苦戦が待っていた。
質、量が一段と高まる練習を順調に消化しながら、本番で思うような結果を残せないレースが増え、トラック種目の記録は停滞した。長門俊介監督は「5000メートルでも『あの(高校記録の)タイムで走らなきゃいけない』と思うほど、逆に走れない。周りが十分だと評価する走りでも、本人は満足できない様子だった」と振り返る。
得意の駅伝でも、1年目は出雲、全日本でともに区間2けた順位と低迷。箱根では4区区間8位で2人を抜く力走を見せたが、チームは総合17位でシード権を逃し、悔しさを募らせた。
大きなターニングポイントとなったのは、今年5月の関東学生対校選手権(関東インカレ)だった。
1部総合優勝を争う対校得点獲得のため、入賞の期待がかかる1万メートルで、25位と惨敗。上位陣から周回遅れとなる屈辱を味わい、レース後は待機場に座り込んだまま、しばらく動けないほどに打ちひしがれていた。
そんな時に声をかけたのが、このレースで日本人上位集団の先頭を終盤まで引っ張り、6位入賞を果たした東洋大の石田だった。元々2人に交流はなかったが、吉岡の2年前に5000メートルの高校記録を16年ぶりに更新した“先輩”は「焦らなくていい。自分のペースでやっていけば大丈夫だよ」と温かい言葉で激励した。
長いトンネルの先には希望がある
石田自身、1500メートル、3000メートルの2種目で中学記録を更新した後、高校時代は1、2年時に記録や大会成績が停滞したが、3年時に復活。東洋大でも2年時の箱根駅伝2区で区間19位に沈んだ後、3年目は一時心身の調子を崩し、約4か月チームを離れた時期もあった。「吉岡にしか分からない重圧や不安、あきらめたくなる気持ちがあったと思うし、自分も分かる。長い競技人生、山あり谷ありというのを自分も経験してきたので、彼にも頑張ってほしいと思った」
一緒に走った関東インカレのレースで石田が完全復活する姿を目の当たりにした直後だっただけに、その言葉は吉岡の胸に強く響いた。「中学新、高校新と結果を残してきた石田さんでも、トントン拍子ではない。足踏みすることがあっても諦めずにやっていけば、また走れるというふうに思わせてくれる存在。陸上を辞めずに頑張ろうと思うことができた」