「活動の源泉は音楽」 繰り返すリズムが運んでいく健康や希望という場所
「いのっちの電話」の直接会える場所を作る
ーー新型コロナの流行で、人が自由にすること、コロナが感染するようなリスクのあることをすることが許せないという監視社会の傾向が強まっています。人のすることが気になるというのは、鬱になる症状の一つだと指摘されていますね。 そういう文句を言っている奴らの方がうつ状態なんです。 生活が充実してる人はSNSをやりませんね。健康な人はSNSをやっていない。SNSをやってる人全員、何らかの異常なものがある。みんな何かちょっと病んでいるんですね。俺も含めてやってる奴は全員おかしいです。 だからこそ俺は健康になる姿を見せつけようと思っています。そして、これはいつかどこかに抜けるしかない。いつかTwitterを辞めるしかないんですよ。 ゆっくり5年かけて、ネット上で宣伝をしないでもやっていける環境を作りたい。 そして、次は直接会う場を作りたい。「いのっちの電話」に加えて、「その僕はここにいます」という「場所」を作ろうと思ってるんですね。次の僕の目的は、熊本に「病院」を作りたいということです。 いつでもコミュニケーションが取れる、いつでも寝られる、いつでも食べられる。何もかも全員一切お金がかからない。何人来ても大丈夫という場所を5ヶ年計画で作りたい。そうするとみんなが抱えている問題が全部断ち切れるはずです。 それを税金をもらわないでやりたい、全てみんなからのお金でやりたい。俺が稼いで、全部自腹でやりたい。そこまでやりたいです。 ーー病を経験した坂口さんが「お医者さん」になって、みんなのために「病院」をつくるというのは面白い発想ですね。 逆に言えば、「病を得る」というのは、そういった「医学部入学」の資格を得るということなんですよ。そんなことがない限り、病の意味なんかない。そんな面白いことがない限り、何のために病を得たんですか。 ーー健康と言われる人の方が病んでいる人に対してすごく冷たい。先日起きた医師による難病患者の自殺幇助事件でも、どうやったら生きられるかという議論に向かわず、「死にたい人は死なせるべきだ」という声がすごく多いです。 出てくるでしょうね。医者の極論があれですよ。死にたい人は死なせる。治すつもりなんてないんですから。 やっぱり大事なことは生かす方向に向かうことです。 例えば、いのっちの電話で、痛みがつらいと訴える線維筋痛症の人と話をして、今、言ったこと面白いから3ページ書いてきてと僕は勝手にオーダーします。それを書いてきて「めちゃくちゃ大変でした」と言うから「今、痛いですか?」と聞くと、「痛くないです」と言う。 僕だったら、強い痛み止めを与えるよりも、ガチンコで夢中になることをしてもらう。夢中じゃないことが前提の退屈な生活はきついし、病自体もきつい。 それ以前にストレスがかかってて、そのストレスというのが退屈なストレス、夢中になれていないストレス、生きることに夢中になれてないストレスです。それを解決すれば、多くのことが良い方向に向かうと思います。 ーー坂口さんも「死にたい」という思いを抱えている期間が長かったわけですね。それでも死ぬより生きているほうがいいと思われたのは、なぜですか? たぶんほとんどみんなと一緒だと思うんですけど、自分のことをすげえと思っているからでしょう。たぶん。 すげえと思っているからすごくないという評価で落ち込む。充実できなくて落ち込んでいるなら、それを充実させる以外ないでしょう。死んでなんかいられないですよ。本当は。 だけどやっぱりその悩みを自分の中でこじらせていくので、自殺は「極度の退屈による死」ということでしかないと思います。極度の退屈による発狂死です。 ーー人生を充実させる「自分の薬」を作る時に、理解者や聞いてくれる人がいることが大事なのはなぜでしょう? これは単純な話で、1人ではできないのではなくて、1人じゃなくて2人になると、容易に日課を継続できるよってだけなんですね。日課をやるのが薬なんですから、一緒にやる誰かがいると薬を続けやすくなるということです。 ーーだけど好きなことをやろうとすると、否定する人が結構多いですよね。「そんなことやって何になるんだ」とか言う。 そういう自分を否定する人たちを、身近な友人だと思ってる人が多すぎることが問題なんですよ。家族もそうです。「お前のことを否定しているやつは家族と思うな」とみんなに言っています。