【ドリュー・バリモアの毒母】ジャイド・バリモア、幼い娘を夢の道具にしたステージママ
1970年代初期、ジャイド・バリモア、本名イルディコー・ヤイド(ジャイド)・メイコはLAのお忍びバー、トルバドールで働いていた。そこではジム・モリソンと出会いアバンチュールも経験したが、その交際は有名芸能一家出身のパッとした経歴もない七光り男優ジョン・ドリュー・バリモアに乗り換えたことで終焉を迎える。1920年代『ジキル博士とハイド氏』で一世を風靡した伝説の俳優ジョン・バリモアの息子を誘惑し、ちゃっかり同棲に持ち込むと、妊娠。ジョン・ドリューは酒乱で、しょっちゅうフラフラと出歩いた挙句、娘の誕生の直前に失踪してしまったため、出産時にはすでに亀裂ができていた。でもそんなことはどうでもよかった。なぜなら生まれた娘は、父ドリューの名前以上に、バリモア家の姓をもっているのだから。燦然とハリウッドに輝く、この象徴的な苗字を。
母は娘との共著『Little Lost Girl』でのたまった。「自分は娘に女優になってもらいたいなどと思ってなかった」と(当然、娘の行動はすでにスキャンダルになっており、読者がジェイドの言葉の端々に“マメージャー”の本性を垣間見てしまっていたが)。彼女の物語によれば、友人がドリューをある撮影に推薦してくれたことで、エージェントの目に留まり、「娘さんにどうしても受けさせたいオーディションがある。お願いだから一度だけ試してみてくれ」と懇願され、受けてみたところ大成功したそう。好き好んで11歳の娘を乳母車に乗せて犬用ビスケットのCMに出させたり、7歳の娘を飛行機に乗せて『E.T.』のプロモーションのために世界中連れ回したり、NYでの撮影のために依存症克服目的で入院していた病院から追い出すような、そんな女じゃない。エージェントがジェイドに頭を下げるから、仕方なくドリューをオーディションに行かせただけ……らしい。あくまで彼女の言葉によれば。
だが、実際は娘を必死に売り込んでいた。バリモアの名前をフルに活用し、物心つかないときからCMやドラマのキャスティングに連れ回した。その甲斐あって、スティーブン・スピルバーグ監督が生み出した映画史に残る傑作『E.T.』(1982)にドリューが登場するやいなや、かつてLAのスターたちのためホールで酒を運んではお近づきになろうとしていた女優志望のジェイドは、ついに夢見ていた世界の住人になった。本当は自分自身がハリウッドのスターたちに一目置かれる存在になりたかったが、仕方がない。たしかに第二プランではあるけれど、大したことじゃない。セレブとしての甘い蜜を味わえるのだから……。