堂珍嘉邦「昔は照れくさくて言えなかった」ソロ活動シーズン2で描く変化と想い:インタビュー
堂珍嘉邦(CHEMISTRY)が、シングル「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」とライブアルバム『堂珍嘉邦 LIVE 2024 ”Billboard LIVE” at OSAKA』を11月6日にリリース。映画『ハチとパルマの物語』主題歌から約3年ぶりとなるシングル「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」は、2023年のバースデーワンマンライブで初披露されたナンバー。移動中の車中で偶然流れた、大阪のエレクトロミュージックアーティスト“speedometer.”の楽曲を聴き「こんなアーティストとコラボレーションしてみたい」という想いから実現。また、ライブアルバムは2024年4月に開催された『堂珍嘉邦 Billboard Live Tour 2024』のファイナル公演を収録した。また、先月行った毎年恒例となっているバースデーライブ『堂珍嘉邦 LIVE 2024 ”Now What Can I see ? ”~Drunk Garden~』が、12月7日19時30分からU-NEXTで配信されることも決定している。インタビューでは、シーズン2に突入したと話すソロ活動への想い、音源化された「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」の制作背景、そして、いま堂珍が大切にしていることについて話を聞いた。(取材=村上順一) 【写真】堂珍嘉邦、撮り下ろしカット ■今はオリジナルの変化球を編み出そうとしている最中 ――今回、堂珍さんがspeedometer.の高山さんに曲をお願いした経緯は、車の中でspeedometer.の曲を聴いたのがきっかけなんですよね。歌詞も今回高山さん委ねられて。 そうです。高山さんはインストの方なので、歌詞は書いてもらう予定ではなかったんです。おそらくデモの歌詞は“ハナモゲラ語”でくるんだろうなと思っていたので、最初は僕が歌詞を書くつもりでいました。想定外だったのですが、1番の形がしっかりできていたので、これがいいと思い歌詞の2番、続きを書いていただきました。 ――これがいいと思われたのは、歌詞のテーマ的に今の自分と合っていた? とても楽曲と合っていましたし、自分の過去に、歌詞にあるようなたほろ苦い経験や思い出もあったなと重なるところもありました。 ――ちなみにサウンドのどんなところが堂珍さんに刺さったのでしょうか。 車の中で聴いたのは、speedometer.さんのギターが入っている曲だったのですが、こういうサウンド感で自分が歌ったらハマるよねというところからでした。「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」は最初ギターリフのループと4つ打ちという非常にシンプルなアレンジだったのですが、ここから肉付けしていくか、この良さを貫くかどちらかだと考えていました。それで音源化をする前に自分のソロライブでやっていくことになって、肉付けしていったので、元々のデモとは違う感じになりました。 ソロ活動はいまシーズン2 に突入した感覚があるので、今のソロのバンドの雰囲気だとちょっと前に進めていない、今までと同じような感じがあったので、もう少し若い感じでいきたいという思いがあり、今のアレンジに落ち着きました。レコーディングはバンドのメンバーに演奏していただいて、メンバーからもアイデアをもらいながら、デモとバンドで肉付けした部分のいいとこどりをしたアレンジになりました。 ――ソロ活動10周年を経た今、シーズン2に突入されて。 そうです。時間が経てば曲の解釈が変わってきたり、ライブアレンジである程度いろいろ楽しんだので、ちょっと新しいものを増やしていかないと、自分の中で新鮮さがなくなるので、また新しく構築していきたい気持ちがあります。 ――ちなみにシーズン1を包括するような言葉はありますか。 いくつもありすぎて、一言は難しいなあ。「Shout」とも言えるし、「She knows why ?」とも言える。今回の歌詞の中の言葉だと<手のなる方は見たことがある鬼ばかりだったよな>というのも言い得て妙かもしれないですが、一つに絞るとしたら「激動」かな。 ――シーズン2のテーマみたいなものもありますか。 パンチはないかもしれないけど、1番は「楽しんでやりたい」というのはあります。僕はもちろんファンのみなさんも年齢を重ねて、昔とは考え方は変わってきていると思うのですが、今の僕は子どもっぽいことや、いい加減なことはしたくないと改めて思っています。それは自分に対してはもちろん、人に対しても求めますし、タイミング的にそれをやる意味があるのかとすごく考えます。例えば野球で剛速球を投げていた選手が、変化球覚えて勝ち続けるのと一緒で、自分もいろいろ時代の流れも意識しながらやっていかなければいけないなと思っています。 ――堂珍さんも昔は剛速球だった? そうですね。昔は赤信号を無視して進んでいたような感覚はあります(笑)。今はオリジナルの変化球を編み出そうとしている最中です。 ――「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」もその一つになるのではと思いました。 うん。その入り口になったらいいなとは思っています。 ■解釈がドメスティックにならないように気をつけていた ――「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」のレコーディングはどんな感じで進めていきましたか。 作者である高山さんのリクエストに答えながらも、ボーカリストとしての意見もちゃんと伝えながら進めていきました。 ――高山さんからはどのようなリクエストあったんですか? 高山さんからは「跳ねる感じで歌ってほしい」とリクエストがありました。 ――この曲を歌うときに意識されていたことは? 歌う上で歌詞の主人公の気持ちをなぞっていく時に気をつけなければいけないことがあります。それは集団で生活していく上で、すごく大事なのですが、卑屈になる、ひねくれた主人公になってしまうとよくないということです。本作では、<息殺し>、<事切れる その⽇まで>とか結構パンチのあるワードもあって、その解釈がドメスティックにならないように気をつけていました。歌詞にあるような<来た道なんて どうでもいいことばかり>とは言いませんが、生きていく上で、鬼はいっぱいいるよなとは思いながら歌っていました。 誰にも自分の気持ちを共感してもらえない時もあると思います。行き詰まってしまう時とか溜め込んでしまうとか、誰かが攻撃してくるようなことなど、自分が自分でなくなりそうな時に、<どうぞ この鍵は⼆度と開かないように 花咲く⼟⼿の向こう側 遠く投げ捨てて>という箇所はかなりの吹っ切れを感じていて、決意や覚悟みたいなものを感じながらレコーディングしていました。 ――要所要所で自分の実体験と重なるところもあったんですね。 そうですね。高山さんの死生観も少し入っているのですが、僕の中では死生観というよりは人生観といいますか、振り返った時に改めてそういうことあったよなとポップに捉えています。今回のようなトラックにちょっとネガティブな感じの言葉を乗せるのが、逆にポップだと思っています。 ――どんな状態のときにこの歌詞が生まれたのか気になります。 高山さんが体調を崩されて入院されていた時に出てきたワードらしいです。悲しい歌ではないということは高山さんから聞きました。歌詞は走馬灯のような感じで、人はいつ死んでもおかしくない、だから今が輝いている、そういった時間をいま過ごしているということが大事だから、とてもハッピーな歌なんだということでした。 ――歌のディレクションは高山さんが? 基本的にディレクションは自分でやります。お任せするときもありますが、ソロ曲は自分でやることの方が多いかもしれないです。自分の頭でイメージしている歌声に近いものを選んでいって、迷ったらどっちがいいか周りに聞くというスタンスです。ディレクションはすごく大変なんですけど、テイク数を多くしなければ大丈夫といった感覚もあります。 ――自分でディレクションされるようになったのはソロ活動が始まってからですか。 実はCHEMISTRY時代からやっていました。今のCHEMISTRYはSkoop On Somebodyを担当されていた方がディレクターとして参加していただいているので、お任せしています。でも、自分が違和感を感じたところはお話して、最終的に決めていくといった感じです。 ■みんなが持っていたら、世の中はもっと良くなるはず ――「BETWEEN SLEEP AND AWAKE」というタイトルも興味深いです。これは白昼夢みたいな感じなんですか。 明晰夢ですね。自分のソロ曲で「Lucid dream」という曲があるんですけど、それも意味は明晰夢なので、タイトルの意味合いは同じなんです(笑)。 ――明晰夢シーズン2ですね(笑)。ちなみに堂珍さんは寝ている時に見る夢って覚えているタイプですか。 変な夢とか特に覚えています。明確に覚えていて4つくらいあるんですけど、一番最初に見た強烈な夢は、夜中に歩いていて砂利を持つと自分が骸骨になるという夢、2つ目は実家の裏が田んぼなんですけど、空から宇宙人が攻めてきて、僕が大砲みたいなもので宇宙人を撃ち落とす夢、3つ目は50m×50mぐらいの巨大なカイトに乗って空を飛んでる夢、4つ目は津波が迫ってくる夢なんですけど、津波が到達した瞬間に自分がどこかの隙間に入って回避した夢。これらは幼少の頃に見た夢ですが、いまだに覚えています。 ――なかなか強烈ですね! 私は幼少の頃の記憶があまりなくて、夢はもちろん日常もあやふやで、失敗したことや怒られた記憶ぐらいしかないです。 あはは(笑)。僕が子どもの頃の失敗で覚えていることといえば、夏に2つに割れるソーダのアイスバーを買って、 1つは食べきったけど、もう1つが食べられなかったので、余ったアイスを引き出しに入れて保管していました。食べようと思って引き出しを開けたら、案の定溶けていて、大泣きしたのを覚えています。 ――それは悲しいですね(笑)。さて、堂珍さんが日々過ごしていくなかで、一番大切にしてることはなんですか。 昔はそんなこと照れくさくて言えない感じでしたけどLoveです。ここ最近は特にそう思うことが多いかもしれないです。 ――自分の気持ちが今まで以上にそこに向かったのは何かあったんですか? とてもシンプルなことからです。愛とはカタチのないものですが、みんなが持っていたら、世の中はもっと良くなるはずだと思いました。Loveというワードを自分が胸を張って言えるほどの包容力はまだないのですが、みなさんの心を刺激することはできると思っています。 ――堂珍さんが1番愛を感じる瞬間ってどんな時ですか? たくさんあるけど、あまり多くを語らない時です。相手のために自分の言いたいことを我慢した方がいいよと自分をストップさせることです。自分が知らないこととか、自分がまだ見えていないところで、その人のために動くことなのかもしれないなって。やっぱり人間というのは私利私欲が強くなってしまいガチじゃないですか。理性と本能のバランスってすごく重要だなと思っています。 ――最後にシンガーとしての展望を教えてください。 歌うというのは生き物なので、歌う姿勢を大切にしたいと思っています。今まではなんとなくいい曲、いい歌詞だなと歌っていたところをもっとフォーカスして歌いたいなって。最近、なぜこの歌詞になったのか、とすごく気になるようになったので、いろいろな解釈も含めて歌っていきたいです。ライブは手を替え品を替えじゃないですけど、同じようなことはしていないつもりでやっていますし、新しいものを観てもらいたいという思いが強くあります。少しずつ引き出しが増えてきて、ソロライブもCHEMISTRYのライブも成熟しているのを実感しています。そういった面をライブではより出せたらいいなと思っています。その中で「堂珍、ちょっと成長したな」と思ってもらえたら嬉しいです。 (おわり)