「歳末の激論」(9)「1986年のディエゴ・マラドーナ」 大住良之×後藤健生 サッカー批評2020
なにもかもが未曾有の事態だった2020年。Jでは史上空前の勢いで川崎フロンターレが駆け抜け、ACLに出場した3チームは苦い結末を迎えた。ピッチ上ではさまざまな変化があったが、変わらないこともあった。新たな星が日々生まれ、偉大なディエゴは逝ってしまった。サッカージャーナリストの大住良之、後藤健生の2人が、あらためて激動の1年を振り返る。 【動画】1986年ワールドカップ、マラドーナの「神の手」を振り返るアルゼンチン代表OB ―2020年の締めくくりということだと、ディエゴ・マラドーナの死については避けて通れないと思いますが。11月25日にアルゼンチン近郊の自宅で逝去しました。10月30日に60歳になったばかりでしたが……。 後藤「あまり長生きするとは思っていなかったけどね」 大住「そうだね。太ったり痩せたりしていたし」 後藤「クスリをやったり……そりゃ身体に悪いことをいっぱいしていたわけだから、しょうがないけどね」 大住「まあ、マラドーナは特別な選手だったよね。20世紀の選手で言えば、ペレとかヨハン・クライフとかもいたけど。マラドーナは日本のファンにとって特別だったんだよ。やっぱり、日本のファンにとっては、マラドーナは日本開催された1979年のFIFAワールドユースで世界へデビューした意識もあるし、18歳のマラドーナのキレキレのプレーも目の当たりにした。それで、サッカーから離れなくなった若い選手もたくさんいるし。 日本サッカーが冬の時代からまだ抜け出していない時に、子どもたちに夢を与えていたのは、マラドーナと『キャプテン翼』だった。それは間違いない。だから、日本サッカーにとっては大きな存在だったと思う」
■マラドーナの最高潮だった86年
後藤「ぼくとか大住さんとかは、世代的にもちょうどマラドーナが若い時に見始めて、晩年まで見たっていう、ちょうどいい時代の人だったもんね。ペレなんて晩年の何年間かしか見ていないわけだし。アルフレッド・ディステファノ、スタンリー・マシューズなんかはまったく見たことがない」 大住「映像でちょっとだけ、あるかどうかだもんね」 後藤「映像だってほとんど残っていないでしょ。だけどマラドーナは、10代の時から最後まで。ワールドカップに行けば4年ごとにマラドーナを見て、4年経てば、また予選を見たり。そんな感じで過ごしてきたわけだから」 大住「NHKがワールドカップの放送を始めたのが1982年なんだよね。その時はマラドーナは21歳で、ちょっとチーム状況も良くなくて、最後は退場になっちゃうんだけどさ。次の86年大会は、NHKの放送枠がもっと増えて、そのうえマラドーナは最高潮だったから、その姿を日本のファンはリアルタイムで見られたんだよね。大変な勝負の中で、彼が信じられないようなプレーをしてアルゼンチンを勝利へと導いた。あれはすごいインパクトだったよね」