職人像を一新へ 町工場の活動描く「生野ものづくり百景」
「匠などと呼ばんといてな」と語る職人社長の真意とは?
ふたりは生野区役所の担当職員とともに常時、3、4人で取材チームを組んで、企業を訪問。製造品目や得意分野は多岐に及ぶが、共通点があった。取材を終えての帰り道、「きょうの会社もすごかった」「どうして生野には、こんなにおもろい社長さんばっかり集まってはるんやろか」と、興奮気味に語り合ったという。 自慢の技術さえあれば仕事になる、というほど、実業の世界は甘くはない。生き残ってきた企業は、それぞれ厳しい難局をくぐり抜け、ほろ苦い体験をかみしめてきた。中西さんは取材先でベテラン社長の卓越した技術に惚れ込み、「まさに現代の匠ですねえ」と感嘆の声をあげた。褒めたつもりだったが、社長から予想外の反応が返ってきた。 「匠などと呼ばんといてください。持ち上げられるうちに、みんなあぐらをあいてしまう。現状に満足してはいけない。このままでは、ご飯を食べられへんようになってしまうかもしれへんから、少しでも工夫せなあかん。それが仕事やと。私よりずっとご年配ですが、とんがっていらっしゃる、攻めていらっしゃるなあと感服いたしました」(中西さん) 若手も負けてはいない。シューズやサンダル製造のシューズ・ミニッシュ。生野区は神戸・長田と並ぶ関西の靴の産地だったが、価格の安い外国製品などに押されて廃業が相次ぐ。同社の前身会社も会社存亡の危機に見舞われたが、2代目社長の高本泰朗(やすお)さんは心機一転、下請けからメーカーへの業態転換に挑戦。機能性とデザイン性を兼ね備えたオリジナルシューズを開発して、成長企業へ進化させた。 今では同社の製品は通販番組などで人気を呼ぶ。起死回生のサクセスストーリーだが、成功の果実を自社だけで独占しない。高本社長は「生野ものづくり百景」で次のように語る。 『うちはメーカーですが、靴を作るには様々な工程があり、まわりの職人や工場に協力してもらっています。うちの仕事をやりたいと門をたたいてくれた人は、ぜったいに断りません。そのかわり、今までやったことのないこと、それはでけへんと思うことをお願いすることもありますよ。でも、一緒に新しい靴を作り、靴作りで生野を元気にしたいと思ってます』 地域連携に基づく新しい協働共生の思想ともいえようか。