北京五輪女子アイスホッケーで“旋風”スマイルJの1次リーグ1位突破の価値とは?見えてきたメダル可能性「ここは通過点」
中学生で代表入りするもソルトレークシティー、トリノ両五輪出場をかけた世界最終予選で敗退。バンクーバー五輪出場をかけた世界最終予選では代表からも外れ、三度日本が敗れたなかで肉体的に、そして精神的に限界を感じた。 生まれ故郷の北海道苫小牧市へ戻り、家業を手伝っていた2011年夏。女子ワールドカップを制したサッカーのなでしこジャパンを見て心が震えた。 もう一度ホッケーリンクへ、そして代表へと戻り、まだ見ぬ五輪の舞台に立ちたい。熱さを蘇らせた久保は世界最終予選を勝ち抜き、ソチ五輪出場を決めた日本をエースとしてけん引した。 愛称の「スマイルジャパン」がつけられたのも、実はソチ五輪前だった。 何がなんでもソチ五輪に出たい、と悲壮感を漂わせていた選手たちを、当時カナダから招聘されていたカーラ・マクラウドコーチが「どんなときでも笑顔でいよう」と鼓舞。笑顔を介してプレッシャーから解き放たれ、新たな力を得た結果がノルウェー、スロバキア、デンマークと同組になった世界最終予選を勝ち抜く原動力になった。 しかし、そう簡単に勝たせてくれるほど五輪は甘くはなかった。 開催国枠で出場し、5戦全敗、2得点に対して45失点の最下位で終えた1998年の長野大会以来となる五輪での戦い。スマイルジャパンは必死に食い下がったものの、1次リーグ、そして順位決定戦の計5試合を全敗で終えた。 ただ、流した悔し涙は、選手たちの目線の高さをも変えた。五輪に出るためではなく、五輪で勝つためにはどうしたらいいか。男子の醍醐味でもあるボディチェック、すなわち体当たりが原則禁止の女子で、日本人の特徴でもあるスピードと豊富な運動量にチームワークを融合させるスタイルで五輪のメダルを獲ろう、と目標を定めた。 選手個々の視線も世界へ向けられた。2015年の世界選手権でベストGKに選出され、日本人選手として初めて個人賞を手にした藤本は、同年7月に北米プロリーグNWHLのトライアウトに合格。ニューヨーク・リベターズでプレーしている。 当時を振り返った藤本は、こんな言葉を残している。 「ソチ五輪のときの自分たちのままでは、世界に通用しないと思い知らされました。何かを変えなきゃいけないと、チームのみんなが悔しい思いをしました」