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大黒摩季「病による活動休止、不妊治療…どんな向かい風も、向きを変えれば追い風に」

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婦人公論.jp

「ら・ら・ら」「熱くなれ」をはじめ、女性の気持ちを代弁する歌詞とパワフルな歌声で人々の心を鼓舞してきた大黒摩季さん。しかし2010年に病気療養のため休業し、およそ6年間、表舞台に立つことはありませんでした。数々の壁を経験した今、「人生の節目は軽やかには越えられない」と語る真意は──(構成=丸山あかね 撮影=宅間國博) 【写真】「2度腹筋を切ったわけですから、大黒摩季は2度死んだようなもの」 * * * * * * * ◆なんとしても子宮を守りたくて 1992年に23歳で歌手デビューしてから50歳になった今日まで、あれもこれもが節目のような目まぐるしい人生でした。嬉しい出会いや出来事がある一方で、自分の病気、親の介護、パートナーとの別れといったシナリオも用意されていて。 なかでも子宮腺筋症などの治療のため2010年に無期限活動休止を発表したときは、断腸の思いでした。今だから「人生の大きな節目だった」と言えますが、渦中にいるときは、これで“歌手・大黒摩季”は終わってしまうという恐怖に苛まれ、崖っぷちに立たされていたのです。 今にして思えば、私は10代から生理が重かった。デビューする頃には、生理中の不調のほか、排卵期に心が不安定になったり、声が出づらくなったり。お腹の底から発声するためには姿勢を正す必要がありますが、生理中は腰痛がひどくてまっすぐに立てませんでした。 なんとかしなければと焦りを募らせたのは、97年の8月にレインボースクエア有明での初ライブを控えていたから。私はデビュー以来、テレビ出演やライブ活動を一切行っていませんでした。満を持して開催するライブだからこそ、万全な体調で臨みたかった。そこで生まれて初めて、婦人科を受診することにしたのです。 検査の結果、子宮内膜症と子宮筋腫、子宮腺筋症を併発していることが判明。骨盤内で腫れあがった子宮が他の臓器を圧迫している状態で、医師からは「放置すると子宮の全摘手術しか治療法がなくなる」と告げられました。「それは妊娠できなくなることを意味します」と。 当時27歳だった私は、まだ未来の配偶者と出会っていませんでしたが、子どもが大好きなので「なんとしても子宮を守らなければ」と思い、すぐにホルモン治療を始めました。しかし、一筋縄ではいかなかった。そればかりか、自分の人生が順風満帆ではないことを思い知らされました。なぜならホルモン治療を続けたことで、将来を左右する選択を迫られることになったからです。

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