小倉智昭さん、35年間紡がれた『キャッチ』スタッフとの絆…LINEグループは最期の最期まで「既読」続けた漢気
フジテレビ系の朝の情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』などのメインキャスターとして活躍した、フリーアナウンサーの小倉智昭さん(77)が12月9日に死去した。死因は膀胱がん。2016年に膀胱がんの手術を受け、2018年に膀胱の全摘手術を受けた。また、2021年には肺にがんが転移していたことも公表し、治療を続けていた。 【写真あり】小倉智昭さん、2019年の復帰祝い飲み会で和気藹々 1999年4月にスタートした『とくダネ!』では、2021年の終了まで22年間にわたって総合司会を務めるなど、番組の顔として活躍した。 だが、小倉さんが本格的にワイドショーの司会を手がけたのは、1989年10月にスタートした『キャッチ』(日本テレビ系)が最初だった。いまでも小倉さんと親交が続いていた当時のスタッフが述懐する。 「『キャッチ』は昼の番組で、当時はフジテレビ系の『3時のあなた』が一人勝ちの状態でした。後発だった『キャッチ』は、芸能情報だけではなく、時事ネタや生活情報も取り入れるスタイルで、小倉さんが目指していたワイドショーのさきがけのような番組でした」 小倉さんは、番組スタッフから「漢気がある」と慕われていたという。 「番組では、スタッフの失敗などがあっても、小倉さんは絶対に怒ることはありませんでした。私もフロアで失敗したことがありましたが、怒られたことは一度もなかったです。番組スタッフを大事にしてくれる姿勢は当時からずっと持ち続けていました。 ADから、演者のレポーターさんまで、とにかくみんなを大事にする。番組が終わると、よく小倉さんとスタッフで飲みに行っていました。中野にある居酒屋さんですが、そこは小倉さんとスタッフが集まる行きつけの場所だったんです。 小倉さんは、お酒はそんなに強くないですが、スタッフとの飲み会は大事にしていましたね。帰りの車のなかでは疲れもあって寝ちゃうのですが、そうした小倉さんの漢気にみな惚れ込んでいました」 『キャッチ』は1992年3月に終了したが、番組終了から32年が経過した今も、当時の関係者は連絡を取り合っている。 「キャッチの番組スタッフらの結びつきは強く、小倉さんやレポーター、スタッフと、グループLINEで今もやり取りをしています。それだけでなく、たまに小倉さんを囲んで飲み会も開いていました。 グループLINEでは、スタッフの体調を気遣った書き込みもよくしてくれましたね。 ずっとワイドショーの司会を務めていただけに、ニュースや情報には敏感で、『なんでもいいから情報があったらすぐに教えてくれ』と言っていました。 体調が悪くなってからは、返事の書き込みはありませんでしたが、既読だけはついていたので、読んでくださっていたのだと思います」 写真は、2019年7月、小倉さんの復帰祝いで集まった際の様子だ。小倉さんは2018年11月、膀胱全摘出などの手術のため長期休養に入り、翌年1月7日に予定より1カ月早く『とくダネ!』に復帰していた。 「小倉さんは、『医師から70歳すぎとは思えないくらい回復力があると言われた』と言っていました。すると、みんなから拍手が起こった。 続けて小倉さんは、翌年に開催予定だった東京五輪について、『来年……あんまり大きな声では言えないんですが、聖火を持って走ると思う』と明かしてくれたのです。飲み会の参加者からは大きな歓声が上がりました。 現実にはコロナ禍で1年延期したものの、宣言どおり、小倉さんは2021年に聖火ランナーとしてトーチを掲げてくれましたね」 最近、行きつけの居酒屋の店主が亡くなったり、また、かつてのスタッフの一人も亡くなったりしたことで、小倉さんはとても残念がっていたという。 “漢気” と気遣いで、最期まで番組スタッフに慕われた人生だった。