純烈、デビュー15年で初の武道館へ。「俺は3年前に勝手に決めてた」酒井一圭が語る想い
小田井がいたからオリジナルアルバムは出さなかった
これはネガティブな話として受け取ってほしくないんだけどと、酒井はつけ加えた。小田井在籍時だったらオリジナルアルバムは出さず、日本武道館進出もなかったかもしれない。 世間的にはグループのキャラクターから、いいトシしたオッサンたちが中学生のようにじゃれ合っているかのごとく見えるだろうが、純烈というプロジェクトは一筋縄でいかない。それは、エンターテインメントを提供する立場の宿命でもある。 エンターテインメントとしてのベストを模索し、そこにしか答えは見いだせない。小田井涼平にとっての“いい形”にこだわり、卒業ロードを描ききったのは、プロデューサー・酒井一圭の最高傑作だったと、今でも思う。
「ラウンド」はできないが「秘策を用意してる」
そのスタンスのまま向き合う初めての祭りの場――会場の都合により、客席を練り歩く純烈名物の「ラウンド」はできないが、「秘策を用意している」と酒井はニヤリ。日本武道館は“色気のある会場”とされるが、それは造りだけでなく、九段下からつながる坂も含まれる。 純烈を応援し、生き甲斐とするおばあちゃんやマダムの皆さんにとってはいささかシンドい道のりだが、上りきって入り口をくぐり、扉を開けた瞬間に広がる全景を見た瞬間、疲れは吹っ飛び気持ちが高揚しまくる。 純烈は、その快感を全国から集うお年寄りに提供することとなる。それだけでも、日本武道館でやる意義がある。
「坂を下れるだけの余力は残して帰ってよね」
「来る時は日中で明るいけど、終わる頃には暗くなっているんで帰りのほうが足下は心配。ちゃんと坂を下れるだけの余力は残して帰ってよねって、書いておいてください」 連載時も含め、酒井のほうから書くことをリクエストされたのは初めてだった。純烈のリーダーって、ファンの帰り道までプロデュースするのか。奇しくも11月25日の武道館公演の翌日は「いい風呂の日」。 疲れをそこでとりながら、武道館の余韻に浸かっていただきたい。 <取材・文・撮影/鈴木健.txt> 【鈴木健.txt】 (すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
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