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鈴木愛子

「体の一部を失ったけど、私は私」――子宮・卵巣全摘出を乗り越えて

2017/12/28(木) 10:05 配信

オリジナル

タレント、歌手 麻美ゆま

元AV女優で現在はタレント、歌手として活動する麻美ゆま(30)は26歳の時、「卵巣がんの疑いがある」と診断され、子宮と卵巣を全て摘出した。妊娠できない体となり、やるせなさと向き合う日々。手術から4年が経ち、「体の一部を失ったけど、私は私」と前を向き、女性の体のことをもっと多くの人に知ってほしいと願う。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

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まさか自分が「頭が真っ白に」

「体は痩せていくのにおなかだけがポッコリとしてきて、変だなと。妊娠中期の妊婦さんぐらいに。それまで普通にはけたスカートもきつくてはけなくなってしまって」

体の異変に気づいたのは、2013年1月。ちょうど、所属していたアイドルユニット「恵比寿マスカッツ」のシンガポール公演を終えた頃だった。

「軟便気味で下腹部が張るので、おなかに便やガスが溜まっているのかな? それか腸炎?と」。よくある消化器系の病気だと思い込んでいた。「婦人科系の病気とは1ミリも疑っていなかった」と言う。

複数の医師にセカンドオピニオンを求めたが…(撮影:鈴木愛子)

同月下旬、仕事の合間を縫って受診した病院で腹水が溜まっていることが判明。婦人科でCT検査を受けると、「あまり良くない腫瘍が映っています」と告げられた。

「他の医師にも同じ画像を見てもらいましたが、『10人が見たら10人が悪性(がん)だと疑う』という答えでした」

悪性腫瘍――卵巣がんの疑いだった。

「三つの病院を回ってようやく、私は本当に病気なんだな、向き合わなきゃならないんだなと分かってきた感じですね」(撮影:鈴木愛子)

たとえ腫瘍がどちらか片方の卵巣にとどまっていたとしても、悪性の場合は全て切除するのが通例だ。卵巣がんの場合は子宮やもう片方の卵巣に転移しやすいからだ。

麻美は当時の心境をこう振り返る。

「子宮と卵巣を全部摘出することになるとか、抗がん剤治療も必要になるとか…。頭が真っ白になって、先生の言っていることが全く頭に入らない状態でした」

子宮と卵巣の摘出―。医師の言葉が頭に入らなかった(撮影:鈴木愛子)

術後に分かった「境界悪性」

せめて片方の卵巣だけでも残せないものか――。可能性を探るため、三つの医療機関で意見を聞いた。しかし、どの医師からも返ってくる言葉は同じだった。

「両卵巣に腫瘍が広がっていて、現状では子宮も左右の卵巣も残すことは厳しい…」

麻美は語る。

「ドラマのワンシーンで見たような…みたいな。子どもが産めなくなる体とか自分は想像もし得なかったことだったので、とにかくどうしようという気持ちでいっぱいでした」

卵巣腫瘍と診断される1年前、婦人科で超音波検査を受けた時に「卵巣に少し腫れがあります」と指摘されていた。ただその時は「ほとんどの場合は良性」という医師の言葉から再検査を受けることもなく放置していた。麻美は今もそのことを悔いている(撮影:鈴木愛子)

卵巣腫瘍の場合、開腹して組織を採取しないと良性か悪性かの診断がつかない。

麻美も手術後に病名が告げられた。「卵巣境界悪性腫瘍」。初めて聞く言葉だった。

「境界悪性」とは「良性」と「悪性」の間の性質をもつ病変だ。日本婦人科腫瘍学会の「卵巣がん治療ガイドライン」(2015)によると、卵巣腫瘍の中でも境界悪性は9%程度だという。

術後に告げられた病名は「卵巣境界悪性腫瘍」だった(撮影:鈴木愛子)

がん研究会有明病院・婦人科副部長の宇津木久仁子医師は、こう説明する。

「(卵巣境界悪性腫瘍は)『低悪性度』であり、悪性の中でもたちの良い方。がんよりも増殖スピードが遅く、通常の卵巣がんと比べると5年生存率も高い」

卵巣境界悪性腫瘍の90%がI期に見つかる。「期」とは病気の進行を示すいわゆる「ステージ」。大きくI期からIV期に分かれる。I期で見つかれば5年生存率も99%と高い(2002年発表の米SEERデータベース解析による)。

最近、ウィッグを作るために髪を寄付する「ヘアドネーション」をした。「自分も抗がん剤治療中に髪が抜けて苦労したから」(撮影:鈴木愛子)

麻美の場合、腫瘍は直腸や腹膜にも広がっており、III期まで進行していた。宇津木医師は「III期まで進行した段階で見つかる境界悪性腫瘍はかなりレアケース」と言う。

卵巣境界悪性腫瘍は悪性に準じた治療法が取られ、再発を防ぐために子宮と両卵巣の切除が標準治療として推奨されている。

将来的に出産を希望する若い女性の場合、特例的に、リスクを検討しつつ、本人の同意のもとで腫瘍のない側の卵巣と子宮を残すことはあるが、麻美の場合はステージが進んでいたこともあり、認められなかった。手術後には抗がん剤治療をすることとなった。

母には病気のことをしばらく隠していた。「自分の決心がつくまで、親には変に心配させたくなかったから」(撮影:鈴木愛子)

実家の母には、手術が必要で子どもが産めなくなる事実をあらかじめ伝えた。すると母は「そんなの嫌。困る!」と叫び、声を上げて泣いた。そんな母の姿を見て、麻美も涙が溢れた。

麻美は取材中、当時のことを明るくハキハキと話した。女性にとっては重い事実だからこそ強く振る舞っているようにも見える。

「逃げられないし、入院もしなきゃいけない、手術もしなきゃいけない、子どもも産めない。『じゃあどうするか』となったときに、今までできなかった時間の過ごし方をしようと思って…」

手術後、病室で(本人提供)

抗がん剤治療を始める前、麻美は、薬の副作用で髪が抜けないうちに、髪を星やハート形にして「刈り上げアート」を楽しんだ。闘病を逆手に取って、「今まで試したことのない女子の髪形」に挑戦したのだ。落ち込みがちな気持ちを奮い立たせる工夫でもあった。

「だって私は、女性にとって一番大事な子宮と卵巣が失われちゃうんだから、『髪の毛(が一時的になくなる)なんてどうでもいい』ぐらいに思っていたんです。髪なら、抜けてもまた生えてくると」

抗がん剤治療前に綺麗な自分を撮っておきたくてカメラマンに撮影してもらった(本人提供)

がん啓発「自分にもできること」

2013年4月、麻美は恵比寿マスカッツの解散ライブのステージに立った。抗がん剤治療は続いていた。

「『病気のために引退』という選択肢だけは選ばなかったんです。それだと病気に負ける気がして。私はまだ終わりたくなかった。“麻美ゆま”として活動を続けるために、ファンの方に病気のことを包み隠さず公表しようと決めました」

抗がん剤治療中、自宅で。抗がん剤治療で髪だけでなく眉毛やまつげも抜けた。「毛がなくてツルツルの状態でもうまく眉を描く方法や、崩れにくいメイク道具をずいぶん研究しました」(本人提供)

同年6月、ツイッターで病気を公表したところ、温かな励ましが寄せられる一方で、心ない書き込みも目にした。「セックスのしすぎ」「子宮がんになって当然」「自業自得」…。AV女優という職業への偏見を悲しく思った。同時に、婦人科系の病気への誤解がこれほどあると知り、驚いた。

全米総合がん情報ネットワーク(NCCN)ガイドライン(2016)によると、卵巣腫瘍は性交渉との因果関係はない。

ツイッターでの反響の大きさは想像していなかった。「間違ったことを平気で言う人がこんなにもいることに心が痛みました」(撮影:鈴木愛子)

最近は、病気のことを人前で話す講演活動も積極的に行っている。卵巣の病気がこんなにも見つかりにくいものだと身をもって知ったこと。世間には婦人科系の病気に誤解や偏見が根強くあること。

「自分自身もセミナーを聞きに行って、やっぱり聞かなきゃ分からない、と知ったので、自分でもできることがあったら伝えていかなきゃな、という気持ちになりました。『考えるきっかけになりました』とか、『普段から自分の体と向き合う大切さを知りました』とかの言葉を受けて、ああ伝えて良かったなと手ごたえを感じます」

さらに、「男性にも伝えたいことがある」と言う。

「腫れ物に触るみたいな感じじゃなくて、何でも聞いてほしいんです。例えば、私と同じ病気を経験したパートナーの方がいたら、性交渉の時に『痛くない?』と聞いてあげるとか。普通に」

女性としての自信が揺らいだ時期もあった。結婚願望も強かったし、「結婚=子ども」とも思っていた。「自分には枷(かせ)があると思っていましたが、そうじゃないと思えるようになりました。今は趣味も見つかり、楽しい」(撮影:鈴木愛子)

麻美は時間をかけて、病気と、それによって子どもが産めなくなったことを受け止めてきた。赤ちゃんのオムツのCMさえ目を逸らしてしまう時期もあったが、そんな感情は同じ病気の者同士で分かち合った。

がん啓発のイベントに出演して人脈が広がり、念願だった米国への語学留学も果たした。そんな活動を積み重ね、麻美は「私は私」という自信を取り戻していったという。だからこそ、さらりと言う。

「病気を経験して、体の一部は変わったかもしれない。でも、性格とか全く変わっていないので、普通に接してくれればいいなと思います」

(文中敬称略)

(撮影:鈴木愛子)

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麻美ゆま(あさみ・ゆま)
1987年、群馬県生まれ。18歳で上京。AV女優としてデビューし瞬く間にトップ女優となった。2008年からは、テレビ東京の深夜番組内で結成したアイドルユニット「恵比寿マスカッツ」メンバーとして活動。2010年、2代目リーダーに。2015年に歌手としてデビュー。現在は、歌手・タレント活動の傍ら、医療関係の講演活動にも従事する。


古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障害を抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に、『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著。朝日新書)がある。

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