Yahoo!ニュース

工藤了

「いっそ死にたい」壮絶な苦しみを絵と言葉に――ギラン・バレー症候群を超えて

2017/11/14(火) 10:14 配信

オリジナル

漫画家 たむらあやこ

漫画家たむらあやこは、22歳の時に「ギラン・バレー症候群」を発症した。24時間続く痛みと吐き気に「いっそ死にたい」とさえ思った。10年にわたる闘病記を漫画『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』として昨年出版。壮絶な体験をした自分だからこそ伝えられるメッセージを、誰かのために。絶望と背中合わせのささやかな希望を作品に注ぎ込む。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(撮影:工藤了)

10年におよぶ闘病生活

「これが今朝、出版社に送稿したてホヤホヤの漫画です」。漫画家たむらあやこ(37)はそう言って、最新話の原稿をパソコンの画面に表示した。自宅の和室一間を漫画専用の仕事場にしている。

週刊誌の連載を始めた頃は、線一本引くのにも苦労しながら手描きで漫画を描いていた(撮影:工藤了)

たむらは2015年に自らの闘病体験を描いた漫画「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」で漫画家としてデビューした。

「(締め切りに)ぎりぎりセーフで間に合って。ハハハハハ」と屈託のない笑顔を見せるが、その動作はゆっくりだ。陶器のマグカップを慎重に持ち上げる。部屋の中を歩く足取りはおぼつかない。

たむらが、ギラン・バレー症候群を発症したのは2002年、22歳の時だった。

娘の体を気遣う父・安穂(やすお、写真手前)。ギャンブルで借金を重ね、「たむら家大恐慌時代」を招いた張本人だと漫画に描かれたが、「中身は真実」と照れ笑い(撮影:工藤了)

発症から15年を経た今も手足の感覚がない。本人によれば「視覚によって、失った手足の感覚を補っている」状態だ。「目で見えなければ、手がだらんと落ちていても気がつかず、マグカップ一つ持てない」「暗い場所では立っていられず、地面にピタンと座るしかない」。それでも、24時間激痛と吐き気が続き、全身の感覚麻痺でベッドに横たわったままピクリとも動けない状態に「もう生きていたくない」と口走った頃を思い返せば、目をみはる変化だ。

「漫画で闘病記を描いてこれまでを振り返った時、費やした時間にびっくりしたぐらいです。『私、漫画を描けるようになるまで10年もかかっていたのか』と」

「私 1人だったら乗り越えられなかったと思います。ベッドのかたわらに家族がいてくれるだけでありがたかった」(撮影:工藤了)

風邪と似た症状、診断は困難

たむらの現在の主治医である函館新都市病院内科の高澤宏文医師によれば、ギラン・バレー症候群は、多くの場合、筋肉を動かす末梢神経の障害により、「四肢に力が入らなくなる」「体が動かしにくい」といった運動障害が起きる疾患である。免疫細胞が自己の神経を攻撃してしまうことで起こると考えられている。年間の発症者は10万人に1〜2人。症状はまちまちで、眼や顔の神経が麻痺したり、手足に痛みやしびれが出たりすることもある。

根を詰めすぎて、連載中に救急車で運ばれたことも。「家の前で救急車が脱輪してなかなか出発できず……。人生、ハプニングだらけです」(撮影:工藤了)

医学書には「予後は比較的良好」と書かれているが、一部重症化するケースもあり、たむらはこれに相当した。

ギラン・バレー症候群は、のどが痛い、熱が出る、胃腸をこわすといった、風邪に似た症状から始まることが多い。そして、徐々に手足が動きにくくなっていく。

たむらの場合、まず高熱が出た。病院で受診すると風邪だと診断されて帰された。だが、普通の風邪と違ったのは、立つとストンと膝が抜ける脱力感があったことだ。湿疹が広がり、吐き気が強くなる。たびたび気を失う。病院・クリニックを渡り歩いた後、3番目に訪れた総合病院で髄膜炎を発症していることがわかった。その病院でたまたま神経内科の専門医に巡り合い、入院して10日後にようやくギラン・バレー症候群を併発していると診断された。

コホッと咳をすると、すかさず喉を潤す。ひとたび呼吸困難に陥れば、命取りになりかねないからだ。体調管理には今も細心の注意を払っている(撮影:工藤了)

高澤医師はこう指摘する。「(初期症状では)ほとんどの医師は『風邪』と診断するでしょう。初期の段階からギラン・バレー症候群を疑うほど知識がある医師はなかなかいない。そもそも専門の神経内科医の数が少ない。風邪の症状に加えて、手足などが動かしにくいという症状が少なくとも週単位で続く場合には、患者さんの側から『何かがおかしい』と医師に強調して伝えることが大切です」

看護する側から、される側へ

入院した当初、たむらは家族にさえ痛みや苦しさを正直に訴えることができなかった。准看護師として働いていたたむらは、なまじ医学の知識があるだけに「自分の痛みは教科書通りじゃない、思い過ごしに違いない」と自分に言い聞かせて我慢していた。

医師や看護師に遠慮して病状を強く訴えることのできない娘の代わりに、母は、専門医を見つけるや「先生、娘は普通の病気と絶対違うと思います。診てください!」と必死に訴えた(撮影:工藤了)

地元の病院で「看護のプロのはしくれ」である自分が痛みでわめき散らしたら格好がつかないという気恥ずかしさも先立った。

「でもそのうちに『イデーッ』って叫ばずにはいられないぐらい我慢できなくなって。自分が患者になって初めて気づきました。『つらい』『助けて』と訴えてもなお収まらず『いっそ死んでしまいたい』と思う苦しみがあるんだ、と」

(撮影:工藤了)

症状がピークに達した時の苦しみを、たむらは「24時間営業の痛み」と漫画の中で表現している。あえて言葉にすれば「皮が剥けたところに焼酎のついた手で触られるような痛さ」「ナイフを体に突き刺されてスーッと切り裂かれるような痛さ」だという。「それに、今でもはっきり覚えているのは爪がメリメリと剥がれていくような感覚です」

付きっきりで看護した母の久子(66)はこう語る。

「この子が『お母さん、私の皮膚とか爪とか剥がれてない?』と聞いてくるから、よほどの痛みなんだと思ってね。『何も剥がれていないよ』と伝えるのに、何度も同じことを聞いてくる。特に夜中は痛みがマックスになって、『死にたい、死にたい』と訴えてくる。私も疲れ切って、『もういっそ、親子で……』と思い詰めたこともある。指先まで痛いというので触ってあげることもできず、どうしてあげることもできないのがもどかしかった」

たむらの入院中、母・久子は寝ずの看病を続けた。「母は、仮眠していても、コンッと私が咳を一つするだけでガバッと起きた。背中にセンサーがついているみたいに」(撮影:工藤了)

壮絶な体験こそ、おもしろく

入院して1年が経過した頃、医師から「もうこれ以上良くなることはないでしょう」と告げられた。一生寝たきりになる可能性を示唆された時、たむらは半日泣いた後、前を向こうと決めた。

リハビリになるかもしれないと、好きだった絵を描きためていった。しばらくして、小学生時代からの女友だちに「漫画で闘病記を描いたらどう?」と勧められた。「珍しい病気だから、励まされる人が大勢いるはずだ」と。そこで実体験を漫画に描き、漫画雑誌が主催するコンテストに応募したところ、見事入賞。その応募作を描き直した作品が雑誌やウェブコミックに連載され、昨年、単行本として発売された。それが『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』だ。

手の感覚がなくても、タブレットとデジタルペンなら綺麗な線が引けるという。「手描きの頃より体への負担が減りました。今の時代、障がい者こそデジタルで漫画やイラストを描くの、おすすめです!」(撮影:工藤了)

「漫画として(楽しんで)読めるものにしたいと思っていました。壮絶な体験だからこそ、ギャグ的表現の方が伝わるということもあるのかなと思って。それでも編集者から『つらすぎて読めない』という感想が返ってきて、『もっと面白く!』と何度も描き直しました」

「少しでも多くの人に読んでもらって病気のことを知ってもらおう。誰かの役に立って初めて完成」という気持ちで、精魂込めて描き尽くした。

紙とクレヨンがあればずっと絵を描いているような子どもだった。家計の都合で美大行きを断念。「もう一度、絵を!」とペンを握ること自体がリハビリになった(撮影:工藤了)

絵を描きたいという、心の片隅にあった小さな欲求を大事に育てたことで、気持ちが前向きになった。感覚のない手で諦めずに絵筆を執り続けたことで、生活自体がリハビリになり、少しずつ筋力が戻ってきた。自信も生まれ、ますますプラス思考が高まるという循環が生まれた。10年という膨大な時間を注ぎ込み、絵で身を立てるという夢さえ叶えられた。

「これ以上よくなることはない」と告げた担当医は、ゆっくりと、でも確実に回復していくたむらの様子を見て、「奇跡だ」と喜んでくれたという。

「お医者さんだって、本音では一番言いたくないことを頑張って伝えてくれたんだと思うんです。結果的にあの言葉があって背中を押されたところはある。先生には感謝しています」

たとえ医師に絶望的なことを言われたとしても、半分ぐらいはそうかもしれないし、そうじゃないかもと思うぐらいの心持ちでいいのかもしれない――。たむらは柔らかな笑みをたたえ、そう話した。

「父は借金問題を抱え、看護職の私が家計の戦力でもあり、『一生寝たきりかも』と言われても、人生を諦めるわけにもいかず。踏ん張れたのは、父のおかげ、かな?(笑)」(撮影:工藤了)

(文中敬称略)

たむらあやこ
1980年、北海道函館市生まれ。22歳の時にギラン・バレー症候群に罹患。1年3カ月に及んだ入院期間は「ほぼ寝たきり」で過ごした。その後、リハビリ科のある総合病院に転院。通院してリハビリ治療を受けながら自宅療養を続ける。2014年、講談社の漫画雑誌「モーニング」が主催するコンテストで自身の闘病体験を綴った作品が「編集部賞」を獲得。この応募作品が原型となり、2015〜2016年に同誌とウェブコミックサイトで「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」を連載。2016年4月に単行本化された。近刊に『楽園タクシー配車日報』、『筋トレ社長』(原作Testosterone)など。


古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障害を抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に、『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著。朝日新書)がある。

[写真]
撮影:工藤了
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

病とともに 記事一覧(21)