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殿村誠士

大炎上から3年、「言葉を選ぶようになった」乙武洋匡は「2本足」で歩み出す

2019/11/16(土) 10:59 配信

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しばらく表舞台から遠ざかっていた乙武洋匡が、「新たな足」を携え戻ってきた。ロボット義足を身につけ、堂々と仁王立ちをしている写真にハッと目を奪われた人は少なくないだろう。週刊誌報道をきっかけに「大炎上」してから3年。なぜ再び表舞台に戻ることを選んだのか。乙武を突き動かす「勝手な使命感」に迫った。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

叩かれることは承知の上の「勝手な使命感」

「私も、『3年前』を経て、より言葉を選ぶようにはなりましたね。『さあ、乙武をたたいてやろう』って手ぐすねを引いて待ち構えている人がいっぱいいるので(笑)。もちろん臆する必要はないんですけれども、不用意なファウルを犯す必要はない、というのかな。本来伝えたかったはずのことが伝わらずに、違うかたちで拡散されてしまうことは本意ではないので」

2016年3月、自身のスキャンダルが報じられ、6月から家族と別居。同9月14日に離婚を発表した。ちょうど参院選出馬が決まりかけていた時期だった。障がい者だからいい人に違いない──。そんなバイアスの反動も世の中にはあったのかもしれない。

「私の件はもういいですけど、SNSが普及する中で、誰かを叩くということが、一つのエンタメとして消費されている感じはありますよね。『やめようよ』と言ったところで、やむものでもない。人間は感情で動いているので、いろんなことに腹を立てるんでしょうけど、もうちょっと理性的に考えて、建設的な議論ができたらいいですよね」

顔の見えないネットの中傷を乙武自身は「流すことができた」と話すが、周りに迷惑をかけてしまうことは耐えられなかった。予定していた出馬も取りやめ、また自身の活動も自粛した。

それまで「テトリスのように仕事を詰め込んでいた」生活が一変。活動自粛期間を含め、騒動が落ち着いたあともスケジュールはほぼ真っ白だった。

2017年の「ワイドナショー 元旦SP」(フジテレビ)にベッキーと共に出演。これを足がかりに一気にテレビ復帰するかと思いきや、同年3月から乙武は海外へ旅に出た。約1年をかけ、37の国と地域を巡った。約5カ月間、欧州で生活し、居心地のいい街への移住も、頭をよぎったという。だが最終的には、帰国することを選んだ。

「叩かれることは承知の上で、もう一度自分が実現したい社会のために発信をする、と腹をくくりました」

なぜ3年前の挫折を経ても、乙武は表舞台に戻ることを選んだのだろうか。

「私が健常者で手足があって、不自由のない生活を送れていたとしたら、何か強い気持ちで取り組むっていうことが果たしてできていたかな、と。『これ俺がやらなかったら誰がやるんだ』、『しょうがねえ、しんどいけど俺がやるか』って思える場面が多いんで、そのあたりじゃないですかね。せっかく与えてもらった体なので、自分にしかできないことをしようという『勝手な使命感』かな」

赤ちゃんのころの乙武(写真:乙武義足プロジェクト)

今でも立候補の打診は少なからずある

現在は、ラジオ、ニュース番組のMCなど、レギュラーの仕事をこなし、一時期はパッタリとなくなったという講演会も増えた。ウェブサービス「note」での定期購読マガジンでは、記事を週に4、5本執筆している。多様化する家族のかたちを描いた連載小説も完結したばかりだ。一時期真っ白だったスケジュールも、今はびっしりだという。

「文章を書くことも、テレビに出ることも目的ではないんです。私のような障がい者や、セクシュアルマイノリティー、経済的に厳しい環境の方、日本に生まれたけれどもルーツが海外にある方など、多種多様な境遇の方々ができるだけ同じスタートラインに立てて、同じだけのチャンスや選択肢が平等に与えられるという社会を実現したいって、これがやっぱり僕の目標なんですよね。それが一番効率的にできるのは政治家というポジションなのかな、という思いで3年半前に政治の道を志しました。まあ、身から出た錆でその道は閉ざされてしまいましたけど」

資格試験のようなものにパスすれば政治家になれるなら、どんな努力も惜しまずに猛勉強するだろう。乙武は言う。

「政治家というのは、人から好きになってもらう、選んでもらう職業。そういう意味でもう私の道は閉ざされているのかな。まだまだ文章を書いてもテレビに出ても、おまえが言ったことなんかにはもう説得力がないというふうに言われてしまう。でも、自分が目指す社会を実現したいという思いだけは変わらないんです。だから、そのときそのときの自分に何ができるかを模索していくしかないのかなと」

そう語りながらも「今でも立候補の打診は少なからずある」と笑顔で明かす。

車椅子で十分、自分に義足は必要ないが

生まれ持ったハンディキャップと付き合いながら、さまざまな挑戦を繰り返してきた乙武。現在は四肢欠損者である自らが二足歩行を目指す「乙武義足プロジェクト」に取り組む。

(写真:乙武義足プロジェクト)

乙武は常時座っているため、下半身がアルファベットのL字形に固まっている。ベッドで寝ている時も、腰から下はぴょこっと浮いている状態だという。しかし、二足歩行をするためには、I字形をキープしなければならない。これが、彼にとっては極めて困難だった。

「一瞬はI字形になるんですけど、歩いているうちに、自然と体がL字形に戻ろうとする。だんだん腰が前に折れ曲がり、重心が前のめりになってパタッと倒れることが、最初何度もありました。義足自体も本当に重いんです。片足で、5キロ弱あるんですよ」

(写真:森清)

二足歩行をするために、筋力がなかった太ももの強化を迫られた。激痛を伴う股関節のストレッチを続け、夜な夜なマンションの1階から30階まで階段を上るなど、ハードなトレーニングで肉体改造をした。

そのせいかこの日乙武と会ったとき、彼がとても健康的に見えた。たくましい胸板。しっかりと筋肉がついた首周り。顔も少しふっくらした印象だ。

「本音を言えば、つらいし、やめたい。車椅子で十分だという思いに押しつぶされそうになることもあった。でも、私がこれに挑み続けるのは、勝手な使命感を抱いているからです。世界中に、事故や病気で手足を失った人がいます。『歩きたい』と切望している人たちに、今こういう技術が生まれているんだという情報を伝えること。私が被験者になって、この義足がさらに進化すること。少しでも人々の役に立つことがあるのなら、一生懸命やらせてもらおう、と思うんです」

とはいえ、自らの生活のベースが車椅子から義足に変化することはないだろう、と言う。

愛用の車椅子

「近い将来、人間の指や関節の機能を学ばせたAI搭載の義足、義手の研究が進み、さらに進化していくと思います。こうしたテクノロジーには、夢がありますよね。でも正直に言うと、私は、二足歩行をしたいとは思っていないんですよね。3歳のころからこの電動車椅子に乗って、もう40年。今は車椅子のほうが単純に楽だし、自在に動けるんですよ。だから私としては、取り急ぎ、車椅子が浮いてくれたらな〜と。またはキャタピラーで上がれるとか、段差に困らなくなったら、もっと便利かな」

取材当日、路上での撮影中に乙武は何度も通行する人たちに何度も声をかけられ、その度に快く記念撮影に応じた。中には外国人も、さらにはわざわざタクシーを止めて握手をせがむ人までいた。

乙武の近著『四肢奮迅』は、「乙武義足プロジェクト」に携わるプロフェッショナルたちのエピソードを重ねたルポルタージュ。そこには、乙武の本音も赤裸々に書き込まれている(写真:森清)

「ありがたいですよね、会えて嬉しい、と言っていただけることは」

そう言って笑顔を見せる乙武。「道は閉ざされている」と言った政治の道だが、その志は捨てていないように思える。

「自分が生まれついた境遇によって選択肢が異なる社会は悲しい。ヨーイ、ドンで頑張った結果、差がつくのは仕方がないけれど、スタートラインがすでにバラバラっていうのは、是正したほうがいいと思うんです」

そんな乙武だが、一連の騒動以来、外食する機会はだいぶ減った。

「代わりに、家で飲むワインにハマっています。ワインの話なら何時間でもできますよ」

最後にこう言ってのけた姿は、「いつもの」乙武だった。

乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)
1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に上梓した『五体不満足』は600万部のベストセラーに。スポーツライター、小学校教諭などを務める。主な著書に『だいじょうぶ3組』『自分を愛する力』『車輪の上』『ただいま、日本』などがある。2019年11月、「乙武義足プロジェクト」の全貌を描いた『四肢奮迅』(講談社)を出版したばかり。現在は執筆、講演活動のほか、インターネットテレビ報道番組のMCとしても活躍。

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