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中島翔哉と香川真司に見る「自由度の高いサッカー」の幻影

杉山茂樹スポーツライター
(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

 1-4で大敗した先のベネズエラ戦。ピッチ上に両軍が交錯する姿をスタンドで俯瞰したとき、違和感として最も目に映ったのは中島翔哉のポジショニングだ。4-4-2的な4-2-3-1の3の左にいた時間は半分にも満たなかった。与えられた左のポジションを嫌うかのように真ん中に進出。そこで少々強引なドリブルを始める場合もあった。

 チーム内でコンセンサスが図られているなら話は別だ。中島が内に入ったとき、スッと入れ替わるように外に開く選手がいるなど、監督の指示に基づく連係プレーになっていたのなら構わない。しかし中島が動いて空になった左をカバーする選手は見当たらず、監督から指示が出ている様子は見られなかった。

 よって日本の左サイドはサイドバック、佐々木翔ひとりになる時間が多くを占めた。相手が日本の左サイドを突きやすい状態、つまり穴を、日本は自ら作り出していた。

 森保監督の対応は遅かった。中島が左から1トップ永井謙佑の下にポジションを変えたのは、ベネズエラに4点奪われた後半で、古橋享梧を右に投入したことで玉突きのように真ん中に移動した格好である。永井と中島が真ん中でコンビを組むサッカーも、お互いゴールを背にしてプレーすることを得意にしないタイプなので、問題といえば問題。いいコンビだと思わないが、それはともかくーー

 真ん中に入り込みたがる中島の癖は、以前から少なからず目に付いた。ここまで放置された状態にあったのだ。サイドでドリブルを仕掛けることと、真ん中でドリブルを仕掛けることと、どちらがリスキーか。一般のファンにも判る話だろう。

 こうした、よく言えば奔走な動きはかつて「自由度の高いプレー」と言ってもてはやされた。ジーコジャパン時代、メディアが好んで使ったフレーズだ。ジーコは何かと規律が多かったトルシエジャパンに批判的で、その次の代表監督に自らが就任すると、まず「自由」を謳った。その結果、ポジションにとらわれないサッカーこそ自由なサッカーの証だとの雰囲気が形成されることになった。ブラジルサッカーの、ジーコが選手だった頃からの嗜好でもあるが、それは用いた布陣にも現れていた。

 中盤ボックス型の4-2-2-2。4人の中盤、特に攻撃的な2人(中田英寿、中村俊輔)が自由に動くことを肯定するサッカーだった。

 言い換えれば、サイドハーフやウイングがいないこのスタイルは、岡田ジャパンにも引き継がれることになった。その就任初戦、対チリ戦で岡田監督が採用したのは中盤ダイヤモンド型の4-4-2。中盤の4人が真ん中に固まる傾向は相変わらずだった。岡田ジャパンは、その後、世界的に主流となっていた4-2-3-1を採用することになったが、実態は表記とは異なる4-2-2-2の匂いが残る「自由度の高いサッカー」だった。3の右であるはずの中村俊は、中島のようにその多くの時間を真ん中にポジションを取り、ゲームメーカー然とプレーした。

 それが完全に是正されたのが2010年南アW杯本番だった。そこで披露した4-3-3は、まさに穴のない手堅い布陣だった。そのベスト16入りには必然があった。しかし岡田監督は、なぜ本番になって急に布陣やメンバーを変更したのかという問いには多くを語らなかった。

 その頃になると日本で4-2-2-2はすっかり消え、その本家であるブラジルでも衰退に向かっていた。サイドハーフあるいはウイングのいない4バックは極めて少数派になったわけだが、それはなぜなのか。その時代背景や理由を岡田監督のみならず、ほとんどの日本人監督が言及しなかった。こちらに対し、そのあたりのことを仔細にわたり雄弁に、教え魔のようにレクチャーしてくれた欧州の監督、指導者、あるいは評論家たちとの最大の違いでもあった。

 その傾向はいまも続く。森保監督しかりだ。サンフレッチェ広島時代、サイドアタッカーといえばウイングバック1人のサッカーを展開してきた監督が、代表監督に就任するや布陣を4-2-3-1に変えた。その一方で兼任監督を務めるU-22では相変わらず広島時代の3-4-2-1を採用している。

「3バックも4バックも原理原則には変わりがない。連携、連動するサッカーを目指す」と語るのみだ。サッカーはどんな場合も連携、連動する。連携、連動しないサッカーはゼロであるにもかかわらず、それを繰り返し、呪文のように唱えている。それでも、ベネズエラ戦では、特異な動きをする中島と周囲は連携、連動できなかった。同サイドのサイドバック、佐々木とでさえ絡めていなかった。

 ポジション感覚に乏しい中島のようなタイプが出てくることに必然を感じる。なぜそれが好ましくないのか、なぜ4-2-3-1なのか、なぜ4-3-3なのかを明確に語れることができない監督、コーチに指導されれば、自由に動き回るリスクについて教育されていない選手が誕生してくる可能性は高まるばかりである。

 4-2-2-2時代の攻撃的MFのような調子で、ピッチの真ん中付近で中島がスタンドのファンも目を白黒させるようなドリブルをしても、押し黙っている監督の方が、むしろ責任は重い。なぜ自由度の高いサッカーではマズいのか。マイボールの時間と相手ボールの時間がほぼ等しく存在し、それぞれが、目まぐるしく切り替わるサッカー。この競技における自由とは何なのか。どこまではオッケーで、どこまではダメなのか。具体的に提示しない指導者が日本には多いように思われる。これまで、日本のアンダーカテゴリーの強化、育成にも深く関わってきた森保監督でさえ、連携、連動ぐらいに限られている。

 現在、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターとして試合に帯同しているジーコがいま、自由を強調しているという話は聞いたことがない。実際、鹿島は現在、それとはほど遠いサッカーを展開している。中島のような選手は誰ひとりいない。その理由を指導者が解りやすくハッキリと説明しないと、同じことが繰り返される。

 中島の台頭と呼応するように代表チームから去って行った香川真司も、自由度の高いサッカーが生んだ産物と言える。2014年ブラジルW杯。その初戦、対コートジボワール戦は、香川の中島的な動きが敗因に直結した一戦だった。香川が伸び悩んだ原因のひとつとも言える。中島とその姿はいま、重なって見えている。

 ベネズエラ代表の左ウイング、ジェフェルソン・ソテルドの方が、遙かに今日的なドリブラーに見えたものだ。ブラジルのサントスに所属するこの選手と、中島との差が、そのままスコアに表れた試合と言ったら大袈裟かもしれないが、当たらずとも遠からずだと思う。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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