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これだけじゃないよね?親権者の体罰での法改正

前屋毅フリージャーナリスト
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 政府は5日午前に、「児童のしつけに際して体罰を加えてはならない」と明記する案を自民、公明両党に示した。今国会に提出する児童福祉法と児童虐待防止などの改正案の一部である。

「しつけ」名目で親権者が児童に体罰をくわえたために死亡する事件が相次いでいることを受けての改正案である。事件への政府の対応というわけだ。

 しかし、これを明記したことで防止策になるのだろうか。親権者による体罰を防ぐことになるのだろうか。

 相次いでいる事件で、児童に体罰を加えたた理由として児童の親権者は「しつけ」を口にしている。しかし、それは「理由」ではなく、「言い訳」にしかおもえない。罪を軽くする言い訳に、「しつけ」を理由にしていると受けとれるのだ。「しつけ」のために暴力をふるっていたとは、報道だけで知るかぎり、とてもおもえないのだ。度が過ぎている。

 もちろん、「しつけ」であれば体罰も容認される、と言っているわけではない。ただ、体罰の範疇はあいまいである。ちょっと肩を突いたくらいでも、解釈によっては体罰にもなりうる。そうした意味で、「体罰を加えてはならない」と法律で決めてしまうことの危うさを感じざるをえない。

 さらに、法律で決めたからといって体罰は根絶されるのか、という疑問もある。

 赤信号では停止することが交通法規では決められている。しかし、信号無視が皆無になっているわけではない。

 同じように、体罰を法律で禁じても、無視する親権者がいるかもしれないし、「バレなければいい」と巧妙な方法をとる親権者がでてくる可能性だってある。

 法律で決めたからといって、それだけで根絶される問題ではない。決めないよりは、決めたほうがいいかもしれないが、それによる弊害も考慮する必要がある。

 問題は、法律で禁じたのだから「自分たちの責任は終わり」と、政府や政治家が自己満足してしまうことである。自分たちはやったんだから、あとは問題を起こす親権者の責任でしかない、と責任を丸投げしてしまうことである。

 我が子を死に至らしめるほどの「しつけ」をする親権者は、当然ながら問題である。それでも、そこまで放置してしまった環境にも問題がある。その環境を問い直し、改善していくことが、悲惨な事件を繰り返さないためには重要なはずだ。法改正だけで終わりではなく、もっと環境の問題まで掘り下げ、適切な対応策をうちつづけることが必要である。

 その意味で、「法改正だけで終わりじゃないよね?」と政府や政治家に問いかけたい。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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