「行かない理由はない」NYでコロナと戦う元UFCファイターの看護師がICUを志願した理由
世界で最も新型コロナウイルスによる被害が大きい都市、ニューヨーク。そのニューヨークの病院で、看護師として新型コロナウイルスと戦う元UFCファイターがいる。TUF(ジ・アルティメット・ファイター)のシーズン8で決勝に勝ち残り、UFCで7試合戦ったフィリップ・ノヴァー(36歳)は新型コロナウイルス感染の大きなリスクを顧みずに人命救助に従事している。
「僕の仕事は人々を治療して、助けること。他の選択肢はない」と言うノヴァーは、ニューヨークの中でも新型コロナウイルスによる患者が多いブルックリンの病院で働いている。彼の働いている病院の集中治療室は新型コロナウイルスに感染して苦しんでいる患者で溢れかえっており、病院の廊下にも重病患者のベッドが多数置かれている。
普段は心臓看護師のノヴァーだが、ニューヨークに新型コロナウイルスの患者が増え始めると、最も感染リスクが高い緊急治療室と集中治療室(ICU)の看護へ自ら志願して飛び込んだ。
「医療ガウンとマスク、ゴーグルさえあれば、最前線にいても気にならない」と言うノヴァーは、「年配の看護師や、家族や子供がいる看護師が医療最前線で働いていて、中には癌や大病を克服した看護師もいる。とても健康で、正しい食生活をして、運動もしている僕が、そこに行かない理由はないんだ」と医療最前線に出ていった理由を説明する。
2002年に高校を卒業するときに看護師だった父親に勧められて、父親と同じ道を歩む決意をしたノヴァー。短大で看護学を専攻して、2005年に看護師の免許に合格してからは生まれ育った地元ブルックリンの病院で看護師として働きながら、子供の頃から好きだった格闘技の練習も続けた。
TUFでチャンスを掴んでUFCファイターに
2003年にプロ格闘家としてデビュー。2005年からは看護師と総合格闘家の二足の草鞋を履きながら、2007年まで1引き分けを挟んで5連勝を記録。プロ無敗だったノヴァーにステップアップのチャンスが飛び込んできたのは2008年春のことだった。
世界最大の総合格闘技団体UFCの人気リアリティ番組「TUF」のシーズン8が開幕。若手無名格闘家たちがトップ選手の指導を受けながら合宿所で共同生活を送りながら、試合に負けると脱落。厳しい競争を勝ち抜いて決勝まで進出した2人の格闘家が番組最終回で、10万ドル(約1100万円)が保証されるUFCとの正式契約を賭けて決勝戦を戦うのがTUFだ。
シーズン8のコーチは、日本でも人気のあったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと元UFCヘビー級王者のフランク・ミア。番組ではライトヘビー級(93.0キロ以下)とライト級(70.3キロ以下)の2クラスの選手が募集された。
それまではウェルター級(77.1キロ以下)で戦っていたノヴァーは、TUFに出場するために体重を7キロ近く落としてライト級に転向。だが、急激な減量により、UFCのダナ・ホワイト代表が参加選手の前でコーチを発表するときに、ノヴァーは貧血を起こして倒れてしまう。ダナから「フェインティング・フィリップ(気絶するフィリップ)」のあだ名を授けられたノヴァーは、番組収録1回目にして大きなインパクトを残した。
合宿所入りをかけたエリミネイション・バウトで勝利を収めると、コーチによるチーム分けドラフトで、ノライト級の1巡目指名を受けてチーム・ノゲイラに加入。ちなみに、ライトヘビー級のチーム・ノゲイラ1巡目指名で、ライトヘビー級トーナメントで優勝したのは、エメリヤーエンコ・ヒョードルにも勝って、ベラトールのヘビー級とライトヘビー級の二冠王者、ライアン・ベーダーだ。
「若い頃のジョルジュ・サンピエールみたい」、「次世代のアンデウソン・シウバ」とホワイトからその格闘センスと能力の高さを絶賛されたノヴァーはライト級トーナメントで決勝戦まで勝ち進んだが、決勝で判定負け。10万ドルの契約は逃したが、UFCは善戦したノヴァーにも契約を与えた。
UFCでは3連敗を喫して解雇されると、移籍したベラトールで2連勝。マイナー団体のリング・オブ・コンバットでライト級王者に輝くと、再びUFCから声がかかってUFCに復帰。父親はポーランド系のアメリカ人で母親がフィリピン人のノヴァーは、UFC初のフィリピン大会ではメインカードに抜擢され、韓国人のナム・ウィチョルに判定勝ちして、フィリピンのファンから大歓声を浴びた。
2017年2月のUFC208で判定負けすると、プロ総合格闘家からの引退を決意した。
「33歳になって、ハングリーで若い選手と戦い続けるのは簡単なことではない。このまま総合格闘家としての道を歩み続けるよりも、医療の世界に専念した方が成功するチャンスが高いと感じた。総合格闘家を引退してからは、大学院で修士号を得た。現役を引退してけど、今でもトレーニングは続けているし、ブラジリアン柔術に打ち込んでいる。また大会には出たいと思っているので、このコロナ禍が終息したら柔術の大会に出たい」と語るノヴァーは今年1月にはヘンゾー・グレイシーから黒帯三段を授けられた。
UFCのホワイト代表は「自分を犠牲にしてまで多くの人たちを救うために働いているノヴァーと全ての医療従事者を尊敬しているし、感謝している。ノヴァーはTUFでも男の中の男だったが、今でもそれは変わっていない」とノヴァーに感謝のメッセージを送った。
「僕の人生は誰かを助けるためにある」と語る真の王者
「この仕事をしていて一番辛いのは、患者さんが亡くなるのを見ること」と言うノヴァーはこの1ヶ月で数え切れないほどの患者の死に直面している。
「これだけ言われているのに、まだ不要な外出をしている人たちがいるのを見ると、とてもやるせない気持ちになる。残念なことに、全ての市民が聞き従う訳ではないのがニューヨークなんだ」
それでも、ノヴァーは病院へ行き、新型コロナウイルス感染で苦しんでいる患者を救うために全力を尽くす。
「格闘技を引退して、看護師に専念したことも、医療最前線を志願したことも正しい選択だったと信じている。今は休む暇もなく、目の前の状況はとても大変だけど、この道を選んで良かった。僕の人生は誰かを助けるためにあるんだ」