Yahoo!ニュース

独占告白!本田圭佑から届いたメッセージ~朝鮮学校訪問の理由、愛国心とは、日本人であることとは~

金明昱スポーツライター
7月に朝鮮学校の生徒たちの前で講演した本田圭佑(写真提供・神奈川朝鮮中高級学校)

 絶対に無理だと思った。

 だが、どんな困難にも常に真っ直ぐに立ち向かい、時には猛烈な逆風からも逃げずに立ち向かってきた彼なら、しっかりと答えてくれるのではないか。

 直感的にそう思った。本田圭佑だ。

 現在はオーストラリアAリーグのメルボルン・ビクトリーで現役を続けながら、カンボジア代表のGMとして実質的な監督を務めている。さらに2020年東京五輪にオーバーエイジ枠での出場を目指すことを公言するなど、目標達成に挑み実現していこうとする姿勢を貫いている。

 7月19日、本田は横浜市にある神奈川朝鮮中高級学校を訪れた。名古屋グランパスエイトでチームメイトだった在日コリアンの安英学の招きを受けて実現したサプライズ訪問だった。

 予想もしなかったゲストの登場に、悲鳴にも近い歓声はしばらく止まなかった。

 熱烈な歓迎を受けた本田は、生徒たちの前で講演し、別れ際には色紙に“仲間”という文字を書き残して行った。

 しかし、日朝間には拉致問題など様々な問題が横たわり、朝鮮学校もそれと関連してネガティブなイメージを持たれてしまっているのが実情だ。

 普通であれば、訪問を敬遠するのではないか。だが、なぜ本田はこのタイミングで訪問を決意したのか。兄貴と慕う安英学のお願いとはいえ、そう簡単に決断できることではなかったはずだ。

 その本心を知りたくて、取材を申し込んだ。もちろん、ダメ元で、だ。ただ、こちらの熱意も伝えたつもりだった。

 2週間後、本田のマネジメント事務所から返事があった。

「直接会って取材時間を作るのは難しいです。けれど、書面ならお答えできる可能性はあります」と。

 プロサッカー選手である本田に、失礼だとは思いながらも、サッカーとはほとんど関係のないぶしつけとも思える質問をたくさん送った。

 個人的なインタビューをするのは初めての選手、しかも日本を代表するトップアスリートである。少し遠慮して、「答えられる範囲で結構です」とも伝えてもらった。

 だが、彼はすべての質問に答えてくれた。正直、そのことに驚いた。その文面も本人が直接打ちこんだもの。今にも本田の声が聞こえてきそうだった。

「夢や希望を与えることが本職の僕が断るわけがない」

――朝鮮学校を訪問してから約3カ月が経ちますが、そこに至るまでの経緯について教えてください。名古屋グランパスでチームメイトだった安英学さんから連絡があったと聞きましたが、お願いされたときどのように思いましたか?

「どうも思わないです。英学さんのことをヒョンニン(兄)と呼んで慕っているのですが、尊敬している人から『子供たちに夢や希望を与えてあげて欲しい』とお願いされた。夢や希望を与えることが本職の僕が断るわけがありませんよね。ワールドカップ(W杯)後で忙しかったのでスケジュール調整が一番大変でした(笑)」

――日本と北朝鮮の間には、様々な問題が横たわっていて、朝鮮学校訪問が自分にとって“マイナス”になると考えてもおかしくありません。その中で、なぜ行動に移せたのでしょうか。

「自分の損得以上に大事なことだと思ったからです。そして抱えている様々な問題を解決していくためにも、そういった小さい努力の積み重ねが最も大事だと思っています」

 この頃、本田はロシアW杯が終わり、多忙な日々を過ごしていたのは記憶に新しい。朝鮮学校を訪問する前日の7月18日には、アメリカの俳優ウィル・スミスと共にベンチャーファンド「ドリーマーズ・ファンド」の設立を発表した。

 「世界中の人々の生活を良い方向に変えていきたい」という本田の強い意志があってのことだが、ファンド設立に向けた交渉、構想や理念を発表するという準備だけでもかなりの労力を割いていたのは想像に難くない。

 しかも、メキシコのパチューカを退団し、新天地選びにも慎重を重ねていた時期。

 本田は歴史的な南北首脳会談が実現したあと、安英学とメールをやり取りし、その流れで朝鮮学校訪問の話が出たのだという。

 ――朝鮮学校の第一印象。生徒たちの印象はどのようなものでしたか?

「元気がいいな!って印象でした。元気がいい子供と接するのは、上手く説明出来ないけど、良い気分なんですよね!」

――朝鮮学校の生徒たちには、何を一番伝えたかったでしょうか。

「僕が一番伝えたかったのは、両国の間に歴史として様々な事があったとしても、僕らが人である限り、“仲間”になれるんだ!ということを伝えたかったんです。そして少なくとも僕とヒョンニン(安英学)はそういう関係だということを伝えたかった。そして朝鮮学校を訪問することで、間接的に日本人にも同じことを伝えられればという想いがありました」

名古屋グランパスエイトで一緒にプレーした安英学から朝鮮学校訪問の要請を受けて実現した(写真提供・神奈川朝鮮中高級学校)
名古屋グランパスエイトで一緒にプレーした安英学から朝鮮学校訪問の要請を受けて実現した(写真提供・神奈川朝鮮中高級学校)

 ロシアW杯でベスト16入りを果たした日本代表。選手たちの活躍ぶりを、日本に住む朝鮮学校の生徒たちも目に焼き付けていたはずだ。

 ただ、どこかで“私たちとは無縁な人”と思わざるを得ないのも事実だ。そもそも、現役の日本代表の選手が朝鮮学校を訪れたという話は聞いたことがない。

 朝鮮学校の子供たちにとってサッカー選手のヒーローといえば、北朝鮮代表として2010年南アフリカW杯に出場した安英学や鄭大世(清水エスパルス)、梁勇基(ベガルタ仙台)ら在日コリアンの選手たちになるのだろう。

 ただ、欧州のビッグクラブでプレーする日本代表選手を一目見てみたい、会ってみたいと憧れても決して不思議ではない。朝鮮学校の生徒たちはみな、日本で生まれ、日本の文化の中で育っているからだ。

 それに朝鮮学校に通う男子生徒たちは、ほとんどがサッカーを経験している。というのも、日本学校では盛んな野球部が朝鮮学校には存在しないからだ。

 あくまでも部活動のメインは小学校からサッカー部で、授業の合間の休み時間には、校庭で自然とボールを蹴る子供たちの姿が見られる。学校単位によっては、バスケットボール部などその他の部活も行っているが、どの学校にも存在するのがサッカー部なのだ。

 私の時代のヒーローは、多くの日本人のサッカー小僧と同じく、カズ(三浦知良)やラモス瑠偉だった。当時、もしもカズが朝鮮学校に現れたらなら、同じく学校中が大騒ぎしていただろう。

 それに似た感覚が、今回の本田の朝鮮学校訪問にもあったと思う。サッカー界のスーパースターである本田を目の前に、生徒たちは大興奮だったというが、それはごく自然なことなのだ。

「一番最初に変えないといけないのは、“自分”」

――(朝鮮学校では)具体的にどのような話をされましたか?

「僕は基本的には夢の話をしました。大きな夢を持って、それを忘れずに諦めずに追い続けて欲しいというようなことを話しました。彼らの環境は、僕の想像をはるかに超えるレベルかもしれない、ということには同情します。でも僕が自分の人生で学んだことは、置かれた状況を良くしたいなら、一番最初に変えないといけないのは、“自分”だということです。簡単ではないですが、ポジティブに考えて何にでも挑戦して欲しいと思います」

――本田選手は過去に在日コリアンの方などとの関わりはありましたか?もし、何かエピソードがあれば教えてください。

「中学の時に在日の友人がいたので、一度、朝鮮学校の運動会を訪問したことが記憶に残っています。あとは大人になってからもそうですが、在日の友人が多かったです」

 現在、日本各地には60余の朝鮮学校が存在する。近隣住民とも交流を続けながら地域に根差した学校運営を続けているが、近年は拉致問題などの日朝問題によって、それと関連付けられ、批判の対象となることも多い。

 学校への補助金交付を取りやめる自治体が増え、高校無償化の対象外とされていることで、各地で裁判に発展していることも周知の通りだ。こうした状況だけを見ると朝鮮学校の生徒たちは完全に被害者だと言ってもいい。

 意図せず、難しい環境に置かれている朝鮮学校の生徒たちには、本田のような考え方を持つのは難しいかもしれない。

 だが、その高い壁を乗り越えるために、まず変えないといけないのは“自分自身”ということを伝えてくれている。

「自分の国しか愛せないのは悲しいこと」

 朝鮮学校の話から話題を変えた。本田に聞いてみたかったのが、「愛国心」についてだ。

 日本代表としてW杯に3度も出場し、国の威信をかけた真剣勝負の場所にいたからこそ、感じるものもあっただろうし、世界のクラブを渡り歩いてきたからこそ「日本人」である大切さを感じることも多かったのではないか。勝手ながらそう想像していた。

 彼が朝鮮学校訪問を決意したことも、そうしたことと無関係ではないのではないかと思ったからだった。

――話が変わりますが、日本代表としてワールドカップにも出場した本田選手にとって、「愛国心」とは何でしょうか?「国籍、民族、人種」とはなんでしょうか。世界に出て様々な経験をされた本田選手が感じたものがあれば教えてください。

「家族を愛することと近いかなと。自分の国を家族と思えることが愛国心かなと。ただ問題なのは自分の国しか愛せないこと。それは悲しいことだし違うと思う」

――サッカーでは日韓戦になると両国とも熱くなりますが、実際に韓国と対戦した経験から、日本と韓国では気持ちの入り方は違うものなのでしょうか?

「いえ、僕は他の試合と変わりませんが、メディアが問題です。それを意識させるように必要以上に掻き立てることで、仲を悪くさせようとする。本当にこのメディアの問題というのは変えないといけません」

“何人であるか”よりも、“人としてどうあるべきか”

――一方で「何人である」ことを強調したり「愛国心」の強さは、一歩間違えると、対立したり紛争が起こったり、世界が間違った方向へ向いてしまうと感じます。本田選手は「日本人」であることをどのように表現していくべきだと思いますか?

「そうですね。確かに繊細な問題であり、少しの表現で争いになってはいます。でも僕は日本人である前に“人”です。何人であるかを前面に表現するよりも、人としてどうあるべきかを表現することが最も大事なことだと考えています」

朝鮮学校の生徒たちに「僕らが人である限り、“仲間”になれるんだ!ということを伝えたかった」という本田(写真提供・神奈川朝鮮中高級学校)
朝鮮学校の生徒たちに「僕らが人である限り、“仲間”になれるんだ!ということを伝えたかった」という本田(写真提供・神奈川朝鮮中高級学校)

「自分の国しか愛せないのは問題」とは、あまり考えたことのない視点。目からうろこだった。

 さらに、日韓などの対立構造を「煽っているのはメディア」とも言い切っている。確かに現在の日本において、ネット上には煽り記事が数えきれないほど見受けられる。

 ただ一部の保守的な人々が、特に政治的に対立する国には、絶対に負けられないという気持ちが強いのも事実だろう。

「メディアの問題を変えなければならない」とは本音で、いずれこの手の問題を解決するために、本田は次の一手を考えているのかもしれない。

 ところで、なぜこのような質問をぶつけたのか――。

 2012年ロンドン五輪の3位決定戦で、韓国が日本に勝利し銅メダルを獲得したが、そのあとスタジアムで韓国の選手が「独島は我が領土」のプラカードを掲げたことが大きく取り上げられ、問題になった。

 そのことについて同年9月に本田が日刊スポーツの取材にこう答えていたことがあったからだ。

「……オレは愛国心というのか、そういう気持ちが強い。例えば、いい悪いは別にして、この間のオリンピックの竹島の問題がある。韓国の選手が試合後にボードを持った。いい悪いは別として客観的に見たら、彼は韓国を愛しているんだな、と思った。オレは日本を愛している。もしかしたら同じような状況になれば、同じように行動したかもしれない。それはその場になってみないと分からないことだけど。

 勝ち負けという観点からすると、韓国人が韓国を愛する気持ちに、日本人は負けているんじゃないか。これは政治的な問題ではない。単に自分の国を愛しているか?という気持ちをくらべると、日本は韓国よりも劣ってるんじゃないか、という気持ちにさせられた」

 あれから6年が経ち、本田の「愛国心」は「自分の国を家族と思えることが“愛国心”」という、もっと広い見地になっていた。

 それこそ自分の国を大事にしながらも、“日本人”である前に“人”であることが大事。“何人”である前に、“人としてどうあるべきか”を表現することが大事だという。

 人として努力を怠らない本田らしい言葉だと思う。そして最後に聞いた。日本人の良さ、この先に見据えているものについて――。

「勤勉さは日本の最大の強み。“働き方改革”は強みがなくなる」

――世界に出て感じる「日本」の良さはどこにありますか?若くして世界に出ることで俯瞰的に「日本」という国を見ながら、気付いた良い部分がたくさんあると思います。

「日本の良さは本当に沢山あります。その良い部分は世界一な部分も数多くあると思います。一方で反省して改善しないといけない点も数多くあると思っています。特に勤勉さという点は、日本の最大の強みだと思っているので、最近の『働き方改革』は日本人が幸せに向かっている反面、強みをなくしていく可能性があると言えます」

――「働き方改革」の話が出たので聞きますが、サッカーだけでなく、広くビジネスも展開されている本田選手から見て、特に政治の世界での日本は日韓、日朝、日中の東アジアの平和構築、日米関係など、果たすべき役割はたくさんあると感じていますか?政治家が果たす役割など、個人的な見解があれば教えてください。

「すべてにおいて簡単なことではないですが、結果から言うと世界を平和にすることではないでしょうか?国益だけを考える政治家は、今後は必要とされなくなっていく時代になると思います」

――最後に。現在、様々な事業展開、新たなクラブを渡り歩き挑戦を続ける本田選手ですが、これから目指すものとは何でしょうか。

「短期的な目標は東京五輪です。中長期的な目標は人がお互いを尊敬して信じ合える世界の実現を夢見ています」

 本田が政治への関心も高いのはかねてから知っていたが、日本人の強みが働き方改革によって、なくなるのではないかと疑問を投げかけている。

 政治家への転身は想像もつかないが、本田は世界をより良いものにしていくための活動を、今後も続けていくのだろう。それも我々が想像しない領域へどんどん手を伸ばし、もっと驚かしてくれるに違いない。

 個人的には本田の熱い志と決断力と行動力、そしてサッカーが持つ力、スポーツにおける国際交流が、今も対立しあう国の人々の心を溶かして欲しいと切に願う。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

金明昱の最近の記事