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被疑者の身柄拘束について、メディアはもっと丁寧な取材・報道を!~池袋母子死亡交通事故などから考える

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:アフロ)

 東京・池袋で母子2人が死亡した交通事故で、暴走した車を運転していた87歳の男性を「逮捕しろ」という声が、ネット上では今なお止まない。

 発生直後は、男性自身もケガをして入院したので、現行犯逮捕できる状況ではなかった。退院後、警察は任意で聴取を始めている。逮捕されていなくても、被疑者としての取り調べであることは疑いようもない。

 年齢や退院時のおぼつかない足取りなどを見ても、逃亡のおそれはまずないという判断が間違っているとは思えない。また、警察はすでに現場検証を行い、関連車両のドライブレコーダーや周囲の監視カメラ映像などを集めるなど、さまざまな客観的証拠や目撃証言などを収集しているはずだから、罪証隠滅の恐れも低いと判断したのも、間違ってはいないだろう。

逮捕は懲罰の先取りではない

 そもそも逮捕は、被疑者が逃げたり証拠を隠滅したりして、適正な捜査・立件の妨げになることを防ぐためのもので、懲罰の先取りではない。

 交通事故の多くは、初動の捜査で必要な客観的証拠が概ね収集されるので、けがをした被疑者が現行犯逮捕がなされなかった場合に、その後も任意捜査が行われるのは、特別なことではないだろう。実際、捜査は任意で行われ、裁判で実刑判決が出るケースもある。

捜査は任意、判決は実刑の例も

 たとえば、2016年11月に東京都立川市の病院敷地内で、83歳の女性が運転する乗用車が暴走し、2人が死亡した事故。女性自身もケガをして入院し、逮捕されていない。女性は当初、「ブレーキを踏んだが止まらなかった」などと説明していたが、警察はアクセルとブレーキを踏み間違えたのが原因と判断。女性を書類送検し、検察が在宅起訴した。1年半後、東京地裁立川支部が禁固2年の実刑判決を言い渡した。女性は控訴したが、東京高裁はこれを退けている。

 にも拘わらず、死亡交通事故でやたらと身柄拘束を求める声が止まないのは、警察の捜査の公平性への不信感もあるだろうが、その捜査を報じる報道の仕方にも原因の一端はあるのではないか。

2か月も経って逮捕の例

 最近、交通事故の捜査を巡って、こんな報道があった。

 静岡県警が今月8日、静岡新聞社の男性カメラマンを自動車運転処罰法違反(危険運転致傷)の疑いで逮捕した、というものだ。国道交差点を制御困難な高速度で左折しようとして曲がりきれず、信号待ちをしていた車3台に衝突する事故で、2人に軽傷を負わせた容疑だった。事故を起こす前に、前の車をクラクションで威嚇するなどの煽り運転をしていたという。

 驚いたのは、このカメラマンが事故を起こしたのは、なんと2か月以上も前の、3月3日午後3時ごろだということだ。しかも、カメラマンは自ら110番通報し、「事故を起こしたことは間違いない」と供述していた、とのこと。2か月以上も前の事故で、否認事件でもないのに、なぜ今になって逮捕したのだろう。

逮捕の必要性を問わないのか

 一部報道によれば、カメラマン車のドライブレコーダーの記録が上書きされており、警察は罪証隠滅の可能性があると判断したとのこと。しかし、被疑車両のドライブレコーダーは、通常、事故後すぐに押収されるべきものの1つではないのだろうか。それを2か月も放置していたら、容量が一杯になって故意でなくても上書きされる可能性はあるわけで、警察の初動捜査に問題があるのではないか、という疑問が出て当然だと思うのだが、それについて説明した報道は見当たらなかった。

 報道機関の記者たちは、逮捕の必要性について警察に問い質さないのだろうか?

裁判所が勾留請求を却下していた

 この事故について、改めて有料データベース検索G-searchの新聞・雑誌記事横断検索で調べてみると、読売新聞が5月11日付でこんな続報を出していた。

〈沼津簡易裁判所が9日に勾留請求を却下していた。県警は今後、容疑者を在宅で捜査する〉

〈関係者によると、容疑者の車のドライブレコーダーなどに危険運転の様子が映っており、沼津簡裁は証拠隠滅の恐れが低いと判断したとみられる。当初の県警の調べでは、車のドライブレコーダーに事故前後の映像が残っておらず、容疑者は「映像を上書きしたかもしれない」と供述していたが、県警はその後、映像を復元することができたという。〉(元記事は実名で報道、太字は江川による)

出典:読売新聞5月11日付記事より

 なんと、逮捕翌日には裁判所の判断で釈放されていたのだった。

 証拠隠滅の恐れが低く、勾留の必要性はない。裁判所のこの判断をきちんと報じたのは、私が調べた限り、この読売新聞の記事だけだった。ネットでニュース記事を検索しても、逮捕時の報道はそのまま放置されているのに、勾留請求却下の記事は見当たらない。多くの人は、逮捕の報には接していても、裁判所が身柄拘束の必要性なしとして勾留請求を却下した事実は知らないだろう。

 捜査機関の発表を流すだけで、逮捕を当たり前のように報じ、勾留請求が退けられてもほとんど伝えられない。そんなメディアの報道に日々さらされている人々が、捜査機関による身柄拘束を当たり前のように受け止め、逆に死亡事故で任意捜査になると疑問を持つのも不思議ではない。それが、「逮捕しろ!」と叫ぶなど、やたら身柄拘束を求める世論を作り出す一因にもなっているのではないか。

 読売新聞にしても、有料データベースには「東京朝刊 33頁」に掲載されたとあるが、私の自宅に配達されている同紙33頁は東京の地方版で、この記事は見当たらない。おそらく、静岡県版にしか載らなかったのではないか(逮捕時の報道は、8日夕刊の社会面に掲載されていた)。ちなみに、読売新聞オンラインで検索しても、逮捕、釈放どちらの記事も出てこなかった。せっかく記者が取材を継続して続報を書いても、それが十分伝えられないのは、極めて残念だ。

逮捕の必要性を問い、その後をフォローする

 先の読売記事には、こんな一文もあった。

〈全国の地裁・簡裁では近年、容疑者に「逃走や罪証隠滅の恐れが低い」と判断した場合、勾留を認めないケースが増えている〉

出典:読売新聞5月11日付記事より

 司法が、身柄拘束に関して、本来の役割を果たすようになってきた。メディアの報道も、変わる必要があるのではないか。まずは、次の2つのことを勧めたい。

 1 被疑者逮捕を取材する時には、その必要性について、必ず捜査機関に問う

 2 逮捕を報じた被疑者に関しては、その後勾留請求に裁判所がどう対応したのかフォローし、必要に応じて報じる

 こうして一つひとつの丁寧な事件報道がなされれば、本来は任意捜査が原則であること、必要性がなければ身柄拘束は行われないこと、捜査機関による身柄拘束は処罰ではないことが、人々にも伝わっていくのではないか。それを伝えるのも、報道機関の役割だと思う。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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