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元女子マラソン日本代表は、こうして摂食障害を発症した

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

「体重制限は、他のどのチームでもやっていないくらい厳しい、特に私1人に対してだけ厳しいものでした。食事も監督から『これを食べろ』『これは食べるな』と指示され、1日何回も体重測定があり、水も飲んだ分増えると思うと飲めずにいる状態でした」

 スーパーでお菓子を万引きしたとして逮捕・起訴された女子マラソン元日本代表の原裕美子さんの第2回公判が8日、前橋地裁太田支部(奥山雅哉裁判官)で開かれ、被告人質問が行われた。事件の背景にある摂食障害を発症した時の壮絶な体験や、事件当時の状況を語った。

BMI16以下にしろ、前日より体重を減らせ、との指示

 原さんは、高校卒業後、実業団チームに入った。監督からは、減量を命じられ、数値目標も課された。

「BMIは16以下。前日より100グラムでも多いと怒られる。前の日より、常にマイナスにならないといけない状況でした。常に空腹を感じていましたし、喉の渇きも感じていました」

 BMI(ボディマス指数)は、身長と体重から算出する肥満度を示す値。18.5~24.9であれば標準、それより少なければ「やせ」、多いと「肥満」と言われている。

 摂食障害に詳しい内科医の鈴木眞理・政策研究大学院大学教授によれば、「BMI16以下なんて、健康体ではとても考えられない数字」と驚く。

「拒食症であればBMI16で重症と診断します。BMIが17はないと、生理も止まってしまいます。これが続けば、全身は飢餓状態になっていて、さぞやお腹がすいたでしょう」

 実際、当時の原さんは、常に食べ物のことで頭がいっぱいだったようだ。被告人質問で、こう語った。

いつも『食べたい、食べたい』という欲求があり、それに負けて『一口だけ』と思ってクッキーを食べたら、あまりにおいしくて止まらなくなり、大袋全部食べてしまって、それでも足りなくて……。それから過食が始まってしまいました」

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「でも、そのままでは体重が増えてしまい、翌朝、監督に怒鳴られ、怒られて、いやな1日になってしまう。なので、夜中に起きてバイクをこいだり、サウナに入ったりするようになりました」

 なんとか食べた物のカロリーを消費しようと涙ぐましい努力が続いた。そのうち、食べたものを吐き出すようになった。吐いてしまえば、その分のカロリーは食べなかったも同然。減量も、順調に進んだ。しかも、食べるのをがまんしなくて済む。実業団チームに入った年の12月、まだ18歳の頃に、彼女は食べては吐くのをくり返す摂食障害になっていた。

食べ物が欲しい一心で万引き

 そして、まもなく初めての万引をする。合宿中、原さんが買い食いをしないよう、監督にお財布を取り上げられていた。それで、お腹は空く。食べ物が欲しい一心で、お菓子、ジュース、パンなどをとった。すべて、飲食して、吐いた。

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 お金を持っていても万引をしたことがある。夜になると、こっそり寮を抜け出して、食糧を大量に買い込んだ。食べ吐きのためという後ろめたさもあったのだろう、その量があまりに多いことに、レジの店員が奇異な目で自分を見ているように感じ、視線を避けたくて万引してしまった。

 2012年の夏、初めて警察に突き出された。現役を引退しても、摂食障害は続いた。強いストレスを感じると、食べ吐きや万引きの衝動も強くなる。

「食べて吐く行為と、(物を)とることに逃げていました。その間は、辛いことを忘れられるので……」

治療は一定の効果を見せていたが…

 捕まるたびに、罰金の額が増えるなど処分は重くなった。そして、昨年11月、宇都宮地裁足利支部で懲役1年執行猶予3年の判決を受けた。この裁判中から、専門病院に入院して治療を受けていた。一通りのプログラムが終了し、退院したのが昨年暮れ。食べ吐きの症状は続いていたが、万引きの衝動はなくなっているのを彼女自身も感じていた。

 裁判官と約束したように、買い物は家族と行くように努め、1人で外出する時にはバッグは持たず、財布だけを持って出るようにしていた。

 そんな今年1月中旬、新聞のネット記事の中で自分のことに触れられているのをたまたま目にした。「裁判は終わったのに、まだマスコミは自分のことを追いかけているのか…」と思った。常に誰かに見られているようなストレスが高じて、まもなく退院後初めての万引きをした。

実行行為は「よく覚えていない」

 今回、起訴された事件は2月9日夜。レンタルDVDを返却しに出掛け、その帰りにふっと「明日から3連休だから、その間の食べ物を買っておきたい」と思った。家には、すでに食パンなどもあったが、やたら食べ物を貯め込みたがるのは、摂食障害患者の特徴の1つ。太田市内のスーパーに入り、お菓子コーナーでキャンデー1袋とクレープクッキーを2袋を手に取り、上着の中に隠した。そのまま、パンコーナーに移り、半額セールになった食パンや菓子パンなどをいくつもカゴに入れた。

 お菓子をとった瞬間は、「目の前が、雲がかかるように白くなって、視角が狭くなった」という以外よく覚えていない、という。カゴが体に触れた時、がさっという音がしてハッとし、お菓子をカゴに入れて精算しなければと思ったが、周囲の人がみな自分のことを見ているようで、実行するタイミングをはかりかねていた、と説明する。防犯カメラによれば、その時間は約15分。その間、そこにいる人たちが、口々に「原裕美子よ」「万引きした人ね」と言っているように聞こえた。本当にそう言われたのか、彼女の頭の中だけで響いたのかは、分からない。そこへ、店内の私服警備員の女性が声をかけ、事務所に連行した。

軽量化戦略と指導者絶対の古い体質が摂食障害を生む

 原さんは、今回も保釈後、病院に入院して治療を受けている。執行猶予期間中の再犯ということもあり、今回は実刑判決の可能性がある。もし再度の執行猶予がつけば、退院後はすぐに自宅には戻らず、支援が整った中間施設でじっくりリハビリを行うことにしている。

女子高校駅伝の過熱が選手の軽量化戦略を生んでいることに警鐘を鳴らす山内武・大阪学院大教授
女子高校駅伝の過熱が選手の軽量化戦略を生んでいることに警鐘を鳴らす山内武・大阪学院大教授

 女子長距離選手を減量させて成績を上げようとする「軽量化戦略」の危険性を訴えている、山内武・大阪学院大教授(スポーツ科学)は、原さんが摂食障害を発症する経緯について、「予想していた以上(の過酷な)状況だ。今なら人権侵害と言われて仕方のないことを、チームとしてやっていたことがうかがえる」と指摘する。

 原さんが所属したチームの監督は、その前に高校女子駅伝で輝かしい成績を収めた。その実績ゆえの確信があったのかもしれない。しかし、高校駅伝での競争が過熱し、体重を絞ってスピードを上げる「軽量化戦略」がとられるようになった結果、選手たちの骨がもろくなり、けがが多くて早い引退をよぎなくされたり、摂食障害を発症するなど、様々な弊害が出ている、と山内教授は警鐘を鳴らしている。

「大人であっても、軽量化戦略はあくまで選手の意志で、リスクも知ったうえで、大事な大会の直前など短期間のみにとどめるべきです。(原さんのように)本人がリスクを分かっていないまま、長期間やるべきではありません」

 このような問題が起きる背景として、「日大アメフト部の事件にもつながるような、スポーツ界の古い体質、指導者の言うことを選手は聞かざるをえないという状況」を指摘する。原さんも、監督には逆らえず、怒られるのが怖くて、ひたすら減量に努めた。

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「実業団では、最近はなくなっていると思うが、高校ではまだ、このような関係の中で指導が行われているところがあるのではないか。そんな中、摂食障害になる者、あるいはその予備軍はたくさんいると見るべきでしょう。決して原さんだけの問題ではありません」

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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